ヤマガタンver9 > 雪国幻想

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▼雪国幻想

この長い詩は、故 小嶋弥左衛門氏の海軍予備学生の同期で、元宇都宮大学教授の奥住綱雄氏の作です。
第19回上杉雪灯篭まつり「鎮魂祭」に参列いただいたときにお寄せいただきました。


第19回 
  雪国幻想  奥住 綱男

1 みちのく米沢は上杉氏の城下町
  十五万石の面影 今に残し
  街衢(がいく)に凛たる風格あり
  市民 北の文化を伝承し
  優美の布を織り
  一刀をふるって木を刻み
  芳醇の美酒を醸(かも)し
  醍醐の肥牛を飼う
 

2 今宵 米沢は雪灯篭祭り
  西空の雪雲 ようやく上がり
  飯豊山の肩の辺(べ)の夕陽
  山の端(べ)を淡紅に染め
  振り向けば 栗子の山ふところ
  陽光を溜めて 明るく
  南 吾妻連峰中腹は
  斜陽に 雪の谷の翳(かげ)長く
  麓に 薄墨の雪雲を刷(は)いて
  雪の里の夕景を織る


3 束の間の陽光
  市民の顔に眩(まば)ゆく
  市民 賑わって雪の往還を行く
  人群の中に老爺(ろうや)ら数名
  雪道に肩を寄せ
  覚束なく歩を進め
  上杉城史苑のさんざめきを
  後にして
  松が岬神社に拝跪す
  神苑の雪は軒に届き
  神韻縹緲(ひょうびょう)
  祖神 厳かに豪雪の中に鎮座す


4 上杉神社に入れば
  境内の雪 いと深く
  老爺(ろうや)らの足元
  さらに覚束なし
  本丸の跡の高みに 雪の丘あり
  市民と共に 中高生 短大生
  いでて これを築き
  中腹に幅広く
  階(きざはし)を刻み
  頂上に高々と 雪の塔を積む


5 老爺ら
  息荒く 丘に登りきて
  塔を仰いで立ち 声を失う
  この頃 陽は落ち
  雪 また霏々(ひひ)
  老爺らの髪に肩に
  白く降り積み
  雪塔の輪郭
  背景の闇に 半ば没す


6 雪塔に鎮魂の文字あり
  この二字 雄渾
  深く刻まれて
  塔面を走る斜めの雪と
  燭の瞬(またたき)とに揺れ
  老爺らの胸を 強く打つ


7 老爺らは 元学徒兵 
  学業半ばにして 兵役に就き
  同期の友ら 百六十六柱
  沖縄の海に 特攻散華し
  二百四十五柱
  比島 セレベスの野に果てる
  老爺らは 出撃間近
  学校を懐かしみ 故郷を恋い
  北の夕空を仰いで
  校歌 里歌を歌い
  死なば共に と 友の手を取った
 

8 友は死に 戦い終わり
  遅れをとった老爺らは
  生き残りを恥じ
  鎮魂の旅に出て
  友の御魂(みたま)に詫びた
  御魂近くに
  花を捧げんと 沖縄の海に
  船出すること いくたび
  香華を抱いて 比島の山野に
  夜を重ね 島々を
  巡ること いくたび


9 今ははや 老爺ら老い
  足 萎えて 長途の旅に耐えず
  南溟の果てまででなくも
  せめて 九州の南までと
  鎮魂 巡礼の旅に出る


10 同期の友の殆んどは
  昭和二十年 薩摩 大隅の
  基地の四月の花々を見て 出撃した
  その一人の遺書には
  『桜も 菫も 連華草も
  菜の花も 咲いています』と
  それ故 老爺らの巡礼の季節は
  いつも 四月
  或る四月 基地の一つに
  小さい黄の花が咲いていた
  老爺は持ち帰り 庭に咲かせて
  特攻花と名付けた


11 また 或る四月
  歩き疲れた老爺は
  茶畑の端に腰を下ろし
  空を仰いだ
  その空を 友は 南へ翔び
  ふたたび 戻ってはこなかった
  老爺は 茶畑の上に
  手をさしのべた
  『友よ 海の底は
   青い水の重なりの下で
   藻が揺れていて
   暗かろう 冷たかろう
   陽の光の温もりが恋しかろう
   君をこの腕で抱きしめて
   温めてやりたい』


12 また 或る四月
  老爺は 足を引いて
  海辺へ降り 岩に腰を下ろして
  南の海を眺めた
  その南の海の涯
  比島で別れた友は
  ふたたび 日本の土を
  踏むことがなかった
  老爺は 岩に手を押し当てて言った
  『友よ その草いきれが暑かろう
   耳元を這う虫の音がうるさかろう
   君の頭蓋におおいかぶさる草の中へ
   故郷の山峡(やまかい)の
   涼しい風を吹き送ってやりたい
   君の耳に 故郷の谷川のせせらぎを
   聞かせてやりたい』


13 雪塔 鎮魂の二字
  斜めの雪と
  瞬(またた)く燭とに 揺れて
  老爺らの心を打ち
  老爺ら 揺れて それぞれの
  鎮魂 巡礼の旅の思い出に
  耽るとき
  上杉砲術隊 火蓋を切って
  祭事の開会を告げる
  雷砲の轟きに 古杉(こさん)震え
  大枝の雪塊 雪煙をたてて落ち
  神域の鳩
  驚いて 夜空を駆ける
  神官 祝詞(のりと)をあげ
  市民代表 祭文を捧げ
  鳩はふたたび 古杉の枝に戻り
  身じろぎ 身を寄せて
  ようやく まどろみに入る


14 老爺らの胸中に
  神の鳩 代わって目覚め
  羽ばたいて 翼を返し
  その胸中の闇の中
  南を指して翔ぶ
  神官の昇神の詞
  凍(い)て空に 尾を引くとき
  上杉太鼓
  地底の吐息を伝えるごと
  とどろに鳴り
  やがて とうとうと
  寒夜を震わす
  老爺らの神の鳩
  とうとうの鼓声に乗り
  翼を撓(たわ)めて翔んで
  野越え 山越え
  列島の南端に到る
  その先 海上を行けば
  特攻隊の進路
  神の鳩 海上に出て
  特攻隊の進路に乗る


15 使いの鳩よ 翔べ
  海上 さらに南へ翔べば
  その先は
  慶良間(けらま)の海
  その海こそ 友の墓場
  その海に
  火の柱 水の柱
  友は今 水漬(みず)く屍
  その海の底深く 眠っている


16 使いの鳩よ 翔べ
  その先
  海が果てて 陸地となり
  その荒れた山野の上を翔んで
  火の噴く山が右に見えれば
  それが ピナツボ
  その左麓が クラーク基地で
  潰れた格納庫が見え
  無数の草色の軍用車が
  腹這っているはず
  その周辺も 友の墓場
  友は今 草むす屍
  草いきれの中で 眠っている


17 神の使いの鳩よ
  願わくば 友の墓場の上を翔び
  水漬く屍 草むす屍に
  米沢市民の声を伝えよ
  市民代表の祭文は言う
  『米沢出身の戦没者
   二千余と共に 他の里の
   すべての戦没者の御魂をも
   ここに迎えて
   懇ろに 慰めん』と


18 宰相ら 歴史に昏(くら)く
  国々の諍(いさか)いの
  経緯を知らず
  外国に阿(おもね)って
  陳謝を事とし
  屈辱の風をはびこらせ
  票に媚(こ)び
  国の危殆に 命を捨てた若者の
  御魂祀(まつ)りを拒む


19 神の使いの鳩よ
  願わくば
  御魂に告げよ
  今宵 米沢の市民 こぞって
  五百の灯篭
  三千の雪洞(ぼんぼり)に
  あかあかと ともし
  御魂を招いて
  懇ろに慰めんとす と


20 風立ち
  老杉 にわかに揺れ
  粉雪舞って
  視界を断つ
  樹間 賑わって
  やがて 静まり
  返り来るを 信ず
  祭事 終わり
  人の群
  臨泉閣 なおらいの席に向かう
  降雪 さらに激しく
  人の顔の弁別も難し


21 なおらいの雪見の席に入れば
  床(とこ)に 大いなる軸あり
  『雪夜 炉を囲めば 情(こころ)
   さらに 長(ひさ)し 吟遊し
   相合して 古今を忘る』 と
  市民 老爺らを慰め 肩に手を置く
  その手 柔らかく
  温(ぬく)きこと 限りなし
  団欒 馳走の温気
  老爺らの心満ちて
  浅き眠りに誘わる


22 宴果て 雪熄(や)み
  灯篭 雪洞の浄火に
  往還 さらに明るく
  老爺ら 微醺(びくん)を帯び
  酔歩 蹣跚(まんさん)
  戯れて
  『やまとは 国のまほろば
   米沢は 国のまほろば』
  と歌い
  また 戯れて
  『恋しくば 尋ねきてみよ
   陸奥の 米沢の里 日本の里』
  と歌う


23 このとき 老爺らの一人
  先を行く隊列に気付き
  足を早め 後を追う
  隊列 颯々(さっさっ)と歩調を取り
  しかも 足音もなし
  老爺 息をはずませて追い
  呼べと 答える者なく
  隊列は肅々と進み
  辻を曲がり
  早くも 往還に消えんとす
  老爺 辻へ走り
  ようやく 最後の人影に迫り
  灯篭の灯に その横顔を見る
  その顔は 懐かしい友の顔
  基地の花をかざし
  乗機に向かって走った
  若々しく 清麗な友の顔


24 老爺 辻に立てば
  隊列は消え
  気配のみ路上に残る
  路上
  灯篭の灯に 新雪眩しく
  清浄の気 満ち
  その路は 左右の灯篭
  遙かの果てまで連なり
  その果ての
  遠き灯は 明滅して
  地界のものとも
  天界のものとも知れず


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