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▼サトウキビ畑

ざわわ、ざわわ、ざわわ
広いサトウキビ畑は
ざわわ、ざわわ、ざわわ・・・
あなたもきっとこの歌を1度は聴いたことがあるに違いない。
沖縄戦の辛い体験の中から産み出された
優しくて・・切なくて・・それでいて温かくて・・。
沖縄の大切な友人、崎山正美さんからのシェアです。(下段)


おきなわ季節だより  2023.6.25
さとうきび畑
慰霊の日の日中は事務所で電話番と来館者対応。お客がいない時間は『さとうきび畑』の歌を聴いていた。慰霊の日に『さとうきび畑』の歌を聴くのは、私の長年の習慣となり、この歌への私の思い入れは深い。つくづく寺島さんは沖縄戦で親を亡くした子の気持ちを良く表したと感謝し、尊敬する。寺島さんについては朝日新聞のデジタル版の記事をここに紹介しよう。
さとうきび畑の寺島尚彦さん 沖縄戦悼む
 てらしま・なおひこ 3月23日死去(肺腫瘍)73歳 3月26日葬儀
50年来の友人である詩人の谷川俊太郎さんが、告別式で詩を読み上げた。「いまどんな背景の中に君を置けばいいのだろう/(中略)風にうねるさとうきび畑にひとり立ちつくす君」
 沖縄戦を歌った「さとうきび畑」の作詞作曲で知られる。東京都の出身で、初めて沖縄を訪れたのは64年6月のことだった。
 緑に波打つさとうきび畑で案内人に聞いた。「土の下にまだ戦没者が埋まっています」。このときの衝撃を「ごうぜんと吹き抜ける風の音だけが耳を打ち、戦没者たちの怒号とおえつを確かに聴いた気がした」と著作で書いている。
 歌にしなければ。だが、激しい言葉では音楽を壊してしまう。ならば……。こうして「ざわわ」は66回繰り返されることになった。
 67年の発表当時、「反戦を言わない反戦歌」と評された。歌手の森山良子さん、ちあきなおみさんら30人以上が歌い継いできた。
 意外にも、再び沖縄の地を踏んだのは95年だった。「歌が地元でどう受け止められたか、不安だったようです」と次女の夕紗子さんは言う。コンサート会場で、「いい曲を書いてくれてありがとう」と感謝された。以後、年10回近く沖縄を訪れるようになった。
 常に穏やかな人だったと友人ら。だが脚本家の高木凛さんは、沖縄戦で住民が飛び降りた断崖(だんがい)のゴルフ場で、彼が怒る姿を見た。「どんな気持ちでプレーしているのか。心が痛む」
 01年、沖縄県糸満市の平和記念公園を訪れ、6年前にひざの高さだったクワディーサーの木が背丈を超しているのに気づいた。死者のすすり泣きを聞いて成長するとの言い伝えを聞き、「緑陰(こかげ)」という曲が生まれた。
 <緑陰さえ燃え尽きてしまった/残ったのは悲しみより深い悲しみ/苦しみより重い苦しみ>
 沖縄を歌った最後の歌になった。

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