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▼ダリア(天竺牡丹)日記 Vol.392

ダリア(天竺牡丹)日記 Vol.392/
ダリア (Dahlia キク科)
(花の西洋史辞典より:アリス・M・コーツ 白幡洋三郎・白幡節子訳 八坂書房)

ああ! 霜だ! ダリアがみんな枯れてしまった!
サーティーズ『ハンドリー・クロス』1843

 ダリア・ピンナータ(Dahlia pinnata)はヴァリアビリス種(D.variabilis)とも呼ばれる。このあでやかな色を持った原始的な感じのする花は、メキシコが原産である。メキシコでは、相当古くからアステカ人の庭に育っていたに違いない。スペイン人がメキシコを征服した時(1519〜24)、野生の状態では見られない変わった種類のダリアが、もうすでに栽培されていたといわれる。スペイン王フェリペ2世おかかえの植物学者であり、医者でもあったフランシスコ・エルナンデスは、新世界の植物とその薬効について書いた自著の中で、ダリアについて述べ、その図を載せている。この本は彼の死後1651年に出版された。しかしダリアは、1789年までヨーロッパには導入されなかった。1789年、現在のメキシコシティーにあたる場所にあった植物園のヴィンセント・セルバンテスがマドリット王立植物園のカヴァニレス神父に種子を送った。翌年、その苗の一つが半八重のダリアの花を咲かせた。それについては、1791年に出版されたカヴァニレス神父の本『植物図説』の第1巻に述べられている。カヴァニレス神父はこの植物にダリア・ピンナータという名前を付けた。これはスウェーデンの植物学者でリンネの弟子であるダール博士の名にちなんだものである。その後、また2種類のダリアが咲き、同書の第3巻でロゼア種(D.rosea)とコッキネア種(D.coccinea)と名付けられ図入りで紹介された。コッキネア種は、1800年にパリの自然史博物館の教授ツーアン氏の所に送られた。ダール博士もツーアン氏もダリアはジャガイモと同じで、新発見の有用な野菜になるだろうと大いに期待していたらしい。ところが、その塊茎は「食べられるが、おいしくない」ので人間用にも家畜用にも不向きだとわかった。彼らは大いに失望したにちがいない。 (つづく)
2013/01/16 19:23 (C) ダリア日記
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