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▼誕生!まほろば天女ラクシュミー#5



夕飯を終えて、わたしは農機具小屋の2階に増築されたわたしの部屋へと入った。
部屋の中にはシンハがちょこんと座っておとなしくまっていた。
台所からくすねてきた魚肉ソーセージをむいてわたしてあげると、シンハは器用に両手でソーセージをつかみ、おいしそうに食べ始めた。
勉強机のイスに腰掛け、机の上においてあったビー玉のような宝珠を見つめながら今日あったことを振り返る。
トゥインクルファウンテンであの化け物をやっつけたあと、化け物の体からこのビー玉のような宝珠が転がり落ちたのだ。
シンハの話によるとこの宝珠は「文珠」というらしい。
「文珠」は全部で百八つあって、これが文殊様の、ひいてはシンハの力の源であるというのだそうだ。
この「文珠」の大半が何者かに奪われたとシンハがばつが悪そうに告白した。
「じゃぁなに、この文珠を全部集めるためにわたしに協力して欲しいって言うの?」
「そ、そういうことに、なるッハー」
「それじゃまたあんなのとやりあわなきゃなんないの?」
「た、たぶん・・・」
シンハはわたしから視線をそらす。
「冗談じゃないわよ、もうあんな怖い思いこりごりだもん」
「でも、「文珠」がないとボタンの合格祈願ができないッハー」
うぉぅ!なんと言う人質だ・・・
わたしの未来の夢への架け橋がこんな犬っころに握られているなんて・・・
わたしの表情からあきらめを読み取ったのだろう、シンハが言葉を続ける。
「というわけでしばらくよろしくお願いするッハ!あ、お礼といっては何だけど、そのあいだ家庭教師として勉強を見てあげるッハ」

カリカリと足を引っかかれる感触で現実へと引き戻される。
見ればシンハが足にまとわりついていた。
「ソーセージのビニールを最後までむいて欲しいッハ」
幸せそうなシンハの顔を見ているうちになんだかむかむかと腹が立ってきた。
わたしはソーセージのビニールを全部むくと、シンハが口をつけたほうの3センチほどをちぎり、残り全部をわたしの口の中に押し込んだ。
「あーーーーーーーー!」
シンハの悲しそうな声が夜の闇に響き渡った。

一方そのころ
「くそっ!なんだ!なんなんだいったい、あいつは!」
一見誰も住んでいないように見えるあばら家の中で、青木は荒れに荒れていた。
「おかげで計画が台無しじゃないか!なぁ赤木!」
青木が振り返った先には赤木が座っていた。頬杖をついて無表情で窓から月を見ている。
「学校へダデーナーを出現させて、大暴れさせる!その後で俺たちが出て行ってかっこよくやっつける!そうすれば、友だち百人!彼女も百人!モテモテのリア充学園生活が送れるはずだったのに!おい、聞いているのか赤木!あかぎー!」
甲高い声で青木は赤木に呼びかける。
赤木はまだ、無表情で月を見上げている。
「・・・まぁいい、「文珠」はまだまだこんなにある、それに学園生活はまだ始まったばかりだ!次回こそは、次回こそはあの女に邪魔される前にダデーナーをやっつけて、友だち百人!彼女も百人!モテモテのリア充学園生活を手に入れてやる!なぁ赤木!」
青木の高笑いがあばら家の中に響き渡った。
赤木はまだ月を見ている。
しかしその瞳に写るのは月ではなく、今日学校で手を差し伸べた少女「ラクシュミー」が、自分に送ってくれた微笑みであった。

まほろば天女ラクシュミー 1話 了









おまけ 1

たかはた昔話「ぼたん姫」

むかしむかし、たかはたの一本柳に浜田というお殿様が住んでいた。
浜田には40を過ぎても子宝に恵まれなかったので、なんでも願いがかなうと評判の亀岡文殊へ子宝祈願に訪れた。
浜田が祈願に訪れると、文殊様が唐獅子の背に乗って夢枕に立ち、牡丹の花で浜田と奥方の頭をなでた。しばらくして奥方は懐妊した。
こどもはかわいらしい女の子だった。牡丹の花でなでられて生まれた子なのでぼたん姫と名づけられた。
ぼたん姫は美しく成長し、年頃になるとあっちこっちのお殿様からぜひ結婚したいと強く求婚を迫られた。
中でも竹の森と二井宿のお殿様の求婚はたいそう強く、一本柳を巻き込んで竹の森と二井宿で戦争が起きそうになった。
見かねたぼたん姫は二人に対し「わたしは文殊様によって授かった子供なので、文殊様にお伺いを立てて、文殊様が選んだほうのお殿様に嫁ぎます」といって、亀岡の文殊堂にこもった。
その後文殊様のお導きにより、姫は二井宿の志田の殿様に嫁ぐこととなった。
志田の殿様とのあいだに子供ができたぼたん姫は、お産のために里帰りする途中、泉岡で産気づき、赤ちゃんを産むが、産後の肥立ちが悪く、若くして亡くなってしまう。
しかしこのとき生まれた子供が、後に安然大師と呼ばれる立派なお坊様になったという。

解説 
時代背景を見ると、安然大師が生まれたのが825年ごろ。
亀岡文殊が徳一上人によって建立されたのが807年ごろといわれています。
と考えると、浜田は建てられたばっかりの亀岡文殊堂へ行って祈願をしてきたようです。
たぶん、亀岡文殊のコマーシャル的に作られた話なのではないかな?
などと勘ぐってみたりします。
なお、安然大師ですが滋賀県で生まれた説もある様子。
比叡山で活躍したお坊さんらしいです。


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