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●マリウス・プティパ
『 バレエの世界 』 〜1〜 こちらも新企画!! このコーナーでは、バレエに関する事を個人的感想をふまえて軽〜く紹介し、ちゃおう!というコーナーであります。 これから、バレエを始めたいという人や、バレエに少しでも興味が湧いてきた人は、そこからさらに掘り下げる為の「スターターガイド」として話半分で読んでいただければと思います。 第1回目は、、、 マリウス・プティパ ーMarius・petipaー バレエをしている人なら、ほぼほぼご存知の方も多かろうと思います。 振付家・台本作家としてとーーーっても有名な方です。 「ドン・キホーテ」・「白鳥の湖」・「眠れる森の美女」など、 名だたる有名所の振付・台本を手掛けた人物です。 「クラシックバレエの父」ともいわれるくらい バレエにおいて、多大なる影響を与えた人物なんです!! ざっと彼のプロフィールをご紹介いたします。 ・1818 振付師と舞踏家の父と女優の母との間に、二男坊として生まれる。 (バレエダンサーとしては、サラブレッドとして生まれたんですね〜。でも、二男というところに若干の暗雲が立ち込めてる感があるきがします。)・1831 ブリュッセルのモネ劇場でダンサーとして活動する。 そこから、ボルドーやナント、アメリカ、マドリードと活動拠点を移していく。 (この頃、兄が初演で大成功をおさめ一躍、人気ダンサーに!!しかも、名門パリ・オペラ座! 一方、プティパはというと、兄ほどダンサーでは大成はしなかった。 この頃から、早くも振付家としての道を志していた。)・1847 サンクトペテルブルクのマリンスキー劇場にプリンシパルとして招かれる。 (この頃、プティパは内心ガックリしていたそうです。すでに、トップの振付師が存在していた。 しかーーし!それを逆手にとりダンサーとして活動するなか、振付の仕方をドンドコ吸収した。 そして、ついにチャンスがやってくる!!!)・1869 「ドン・キホーテ」で振付家として大成功をおさめる。 −そこからというもの、振付・台本作家としてロシアバレエの中心に君臨し続けた!!・1910 クリミア半島のグルズフで療養の末、死去。 (プティパさんは長生きでしたね! 2度の結婚をしているのですが、36歳年下の奥様と最後は余生を仲睦まじく過ごしたようです) 始まりは、ダンサー。終わりは、振付・台本作家の帝王。戦争や革命に翻弄され、時代の移り変わりに、自らの居場所を追い求めた。ロシアという新天地に「バレエ」の可能性を見出し、プティパは埋もれていた宝物を掘り起し、さらに己自身で磨き上げ、ダンサーに身に付けさせ、見ている人々を魅了した。 彼は、踊りそのものを大切にし、バレエを舞踏によせた。だから、コンクールやガラコンサートや小品集でその役柄の踊りを見せても成立するんでしょうね。初めてバレエ作品に触れる人でもバレエマイム、無声Dance、などをいきなり見せられても?がのこるが、見せ場をドンドコ見せれば人の目は変わる。それは単純なことではなく、彼自身、作品をより理解し巧みに再構築し直し、人々に余す所なく「バレエ」を伝えた。 もし、彼と同じ時代に生まれ、関わることがあれば「バレエ」を酒のあてに話が尽きるまで毎晩飲み明かしたい。ww 追記:最後のまとめがまるっきり反映されてませんでした。。。
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2017.01.30
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(C)
葵バレエスタジオ
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