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▼米沢藩の砲術

米沢藩の砲術/

衛星の電源開発に関わり、種子島には仕事で出張することがありました、空港にお土産品として鉄砲(火縄銃)がありまして、買おうかどうか迷っていて、結局は買わずじまいでしたが、わが故郷、上杉の鉄砲演武を幼少期からみていたのですごく興味ありましたね、昨日は”なせば秋祭り”で人形と野菜を無人販売の”棒杭市”出すので伝国の杜そして神社内で上杉鉄砲演武みるのがここ数年の秋のイベントですかね、大迫力でした、また細かい動作や、小物など,人形つくりに生かせますね、ここ10日ほど上杉鉄砲隊を制作してました・・今年は6個新たに制作・・疲れたね(最後の写真)

ところで、この火縄銃というのは、天文12年(1543)に種子島に漂着したポルトガル人によって 日本へと伝えられたとされているのは歴史教科書でおなじみですよね。織田信長をはじめとした戦国大名は鉄砲の導入を進め、上杉も 鉄砲の導入に力を入れたと伝えられ、その後の上杉景勝・直江兼続も先進地から鉄砲 職人をまねき鉄砲を製造した。白布温泉にて製造したとあり、 遺跡之碑が建ってます。慶長 19 年(1614)の大坂冬の陣、その後も幕末に至るまで米沢藩の藩士たちは鉄 砲訓練に励み、正月に藩主の前で披露する鉄砲上覧は藩士にとって重要な晴れ舞台で あった。 戦国期から江戸初期には、上杉家及び米沢藩の主流砲術となったのは種子島流と稲富流であったといい、 幕末まで伝承されている。米沢藩では洋式銃隊と大砲を整備し たが、明治元年(1868)の戊辰戦争時には整備した洋式銃とともに30匁火縄銃の大 筒が活躍したという。 そして現在保存会で上杉祭り等で発砲演武が行われる、秋祭りでは練習として演武披露してる、なかなか見ごたえあるものです


2025/09/28 05:55 (C) Atelier Li-no3
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