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▼川西町犬川龍蔵神社の耕雲獅子

川西町犬川龍蔵神社の耕雲獅子/
 川西町犬川龍蔵神社の赤獅子(高山正則の作)と入れ違いに、南陽市法師柳の佐藤耕雲氏の作
の獅子が昨日来院した。現在、赤獅子は稽古用の獅子として用いられ、修理ができるかの診断を
求められたが、大修理を必要とする古い逸品の獅子で修理は回避との診断、軸棒交換のみで返却
になった。新しい獅子頭を作るのが得策と思われると進言した。






 佐藤耕雲氏は明治26年(1893年)生まれ昭和52年(1977年)84歳で亡くなるまで数多くの
彫刻を制作された。耕雲獅子には記名があり、昭和27年(1952年)耕雲氏59歳の作である。
獅子頭より寺社向拝や仏像の彫刻が数多い様である。獅子宿燻亭の廊下の一角に光雲氏のご子孫
から寄贈された作品を展示させて頂いている。当店の玄関先の回廊入り口にも耕雲氏の龍が目を
光らせている。






耕雲氏の印

 耕雲氏作の獅子頭は、耕雲氏独特のダイナミックなタッチで造形され一眼で耕雲氏作と判る。
最初に目立つ長く尖った耳、黒目に金箔の下地の黄土が重なり、牙は頭部奥に牙が付いている。
この獅子頭の手本となったのは上小松新山神社の明治初期長井の梅津弥兵衛氏の獅子と聞いて
いる。弥平衛氏の作の獅子の黒目の縁に1cmの銀箔のリングが施されていて、それを手本にし
たのだろう。

また耕雲氏の名前の横に塗師「横□□□」とあるが、昭和27年当時の新しい塗師の発見である。



 伝統的な總宮型の黒獅子のセオリーを超えた他に類を見ない表現である。その他、川西町の奥
下奥田の田護神社、黒川の稲荷神社、南陽市宮崎観音、飯豊町中の目八幡神社などに耕雲氏の獅
子を確認している。



先日、米沢から耕雲氏のご子孫が当店においでになり、小振りの般若面を寄贈していただいた。
その時、耕雲氏の生前最後の自刻像の木彫作品を持参して頂き拝見できた。


作品に説明書きの文言が彫り込まれている。

 彫刻の耕雲氏のポーズは意味深長で、膝の上には骨壺があり、それに肘を付き、これから始まる死出の
旅を思案している様にも思える。また、自分の人生を振り返り、やり残した事楽しかった事を回想して
いる様でもある。
2025/08/06 08:51 (C) 獅子宿燻亭10
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