▼満州建国の大義〜石原莞爾とその告白2025/01/06 10:56 (C) 製造業で働く
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満州建国の大義〜石原莞爾とその告白(鈴木荘一著)を紹介する。
昭和7年石原莞爾が作った満州国は、大東亜戦争が始まった後も建設が進められ地上の楽園だった。石原莞爾が描いた満州国の建設とは、近代化されたソ連軍の軍事膨張に対峙する防共国防国家の創設であるとともに、中世だった満州を近代化へ移行させる壮大な実験だった。
満州近代化計画の第1期として、国内の治安維持、国家機構の整備、通貨の安定、基礎エネルギー確保、輸送通信事業、都市建設などインフラ建設を推進した。第2期は 産業育成が柱となり、日産コンツェルンが本社を日本から満州に移転した。
第1章 日露戦争と少年石原莞爾の危機感
石原莞爾は山形県鶴岡市に生まれ、庄内中学から仙台陸軍幼年学校・東京陸軍中央幼年学校、さらに陸軍士官学校から陸軍大学へと進んだ。
第2章 それまでの 満州
広大な過疎地満州。ロシア軍の満州占領。
第3章 日露戦争後の満州
ポーツマス条約で南満州鉄道を得る。アメリカの鉄道王ハリマンを満州に引き込んで、満州問題を米英に認識させようとしたが、これを潰したのが小村寿太郎外相である。
南満州鉄道は、半官半民の特殊会社として運営された。南満州鉄道を保全するため、関東軍が配備された。日本がポーツマス条約で、旅順・大連など関東州の租借権、南満州鉄道の経営権、鉄道警備のための軍隊の駐留権を得た。
馬賊張作霖の登場。1911年辛亥革命が勃発し、孫文が中華民国を建国した。1924年国民党と共産党による第1次国共合作ができた。張作霖の爆殺。張学良が関東軍を裏切る。
第4章 石原莞爾 漢口からベルリンへ
日中提携論とベルリン留学
第5章 満州事変
東アジアの地政学は、日露戦争から大東亜戦争を経て朝鮮戦争に至るまで、ソ連の軍事膨張 軍事的南下の対応を軸に動いてる。
満州事変は、陸軍統制派の軍事課長永田鉄山が中央で支援体制を確立し、満州組と呼ばれる石原莞爾作戦参謀とを通じて二人三脚で計画したものである。
石原はシナリオ通り、わずか1万の軍勢で23万の中国軍を破り、在満日本人の生命を守った。さらに、満州をアジア民族が協和する王道楽土にするという大きな夢と理想があり、 満州建国という形で実を結んだ。
柳条湖爆破事件は自作自演であった。関東軍1万は、奉天に続き吉林、遼陽などを攻略し、ソ連と国境を接するチチハルを占領した。昭和7年 満州国の建国を宣言。5族(日満漢蒙韓)の協和を象徴する五色旗を採用した。
満州開発の基本計画は、エコノミスト宮崎正義が中心となって 日本的経営システムを創案して策定した。満州モデルは、第1期が昭和8年からインフラ整備、第2期が昭和12年から都市の建設、第3期は昭和17年から産業育成を進めた。満州移民100万戸計画を立てた。
第6章 国際連盟脱退
リットン報告書の真実。
第7章 石原莞爾の失脚
昭和12年コミンテルンの戦略による中共による盧溝橋事件が勃発。石原莞爾は中国とは戦うべきでないと不拡大を指示した。上海事変が勃発し、拡大派の武藤作戦課長は陸軍派兵を進めた。石原莞爾は日米戦争に参戦することなく敗戦を迎えた。
終章 酒田臨時法廷
満州国の理論的指導者は石原莞爾であり、実質的な責任者だったが、GHQは彼をA 級戦犯から外した。