▼8往復、国鉄時代と同じですね2025/07/12 06:24 (C) おらだの会3
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さてさて、関西からおいでになったライターさんが、「駅銘板の秘密」に続いて発見したのがこの写真でした。これは1987年(昭和62年)12月30日に、羽前成田駅協力会が『新生長井線誕生祈願餅つき大会』を行ったものです。何故、12月30日に駅の待合室で餅つきをすることになったのか。一つは翌年の4月20日に山形鉄道株式会社が創立されることになったこと。2点目は赤湯駅に山形新幹線が停車することになり、新生長井線に旅行客が来てくれることを祈った。そして3点目は、駅協力会(おらだの会の先輩方)の一人が、お餅大好き人間がだったことなのです。
そんなことはどうでもいいですが、関西のライターさんはこの写真を見て一言。「今の長井線と同じ8往復だったのですね。」と。今年の3月までは12往復だったのですが、4月から諸般の事情により8往復になっていたのです。減便で不便を感じている人が多いかもしれませんが、The国鉄時代と同じだったのです。さすがにライターさんはすごいですね。
さて、大正3年の赤湯〜長井間開通時の本数は、新長井市史によれば5往復でした。5往復、8往復、12往復、8往復・・・。山鉄は国鉄時代から1.5倍増便した。今、8往復に戻さざるを得なかった。そこには苦渋と悔しさと、申し訳なさがあったはずだ。私たち住民は、この社員の悔しさを知らなければならないだろう。今日スタートした「7人展」のテーマは「頑張れ!山鉄」だ。