ヤマガタンver9 > ただ、それだけの事なんだけどね。

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▼ただ、それだけの事なんだけどね。

ただ、それだけの事なんだけどね。/
<長い文章だねぇ。読んでもあまり為にはならない、大したことのない一文ですから決して無理をする必要はありません。>

 わが家のすぐ後ろに連なる朝日連峰に春の兆しの雪崩が始まっている。田んぼや畑の雪解けももうすぐだ。
 さて田園は四季の変化に伴って色合いも、生み出す音も変わっていくが、今は白から土色を経て若葉色に向かう季節。色彩的には水墨画を見ているような落ち着きを感じる。
 俺は農作業のあい間、村や田んぼやニワトリたちが作り出す季節感ある風景や音を、暮らしの中に取入れ、その組み合わせを楽しんで来た。例えば緑の水田の中で聴く流れる水の音とオカリナのコラボレーション。あるいは水田を渡る風の波と、近所の農民が唄う民謡。村には芸達者な人達が多い。沈みゆく夕陽を肴に酒を酌み交わす田園の夏や秋のひと時も良い。他にもまだまだあるが、これから書くのもその一コマだ。
 ちょっと前の話になるが、きっかけは友人の大工に頼んで鶏舎を一棟建ててもらったこと。わが家では、ニワトリたちをローテーションに従って鶏舎の外の草地に放している。草地で遊ぶニワトリたちはただ眺めているだけで楽しいが、そんなニワトリたちが産んだ玉子なら食べたいと、声をかけてくれる人が年々増えていた。出来上がった鶏舎を眺めているうちに「落成を祝う会」をやろうということになった。まだ夏の暑さが残るさわやかな初秋のある日、一緒に和やかなひとときを過ごそうと、さっそく友人達に呼びかけた。
「来たる12日の日曜日、我が家の鶏舎の前にてささやかな野外酒宴をもちます。会費は千円ですが、一品持ち寄りできる方、またはお酒を持参される方はお金はいりません。一品とは言っても何でもいいんです。その辺の雑草をむしって来てさっと茹でたものとか・・・ほんとになんでもいいんですよ。我が家で準備できるものは俺が握ったおにぎりと、自慢のたまご焼き、それに少しの飲み物ぐらいですけど。だから・・・本当にお気楽においでください。」
 急な思いつきの、急な案内にもかかわらず20人ぐらいの人達がさまざまな手作りの食べ物を持って集まってくれた。
 野菜のおひたし、フキや竹の子の煮物、ワラビの醤油煮、野菜とキノコの辛味和え、餃子、玉コンニャク・・・鶏舎の前の樹の下にシートが敷かれ、手作りのご馳走が並べられた。それらをいただきながら、小さなパーティが始まった。どの料理もおいしい。俺が作ったものも好評だ。テーブルをかこんで、始めて会った人どうしが談笑している。
 9月の澄んだ青空に白い雲。緑いっぱいの樹の下の、木洩れ日がそそぎ、さわやかな風が頬をなでる。コッコッコッコッと草の上で遊ぶニワトリたちの穏やかな声を聞きながら、気持ちのいい時間が流れていく。前に広がる水田では稲刈り前の若い穂がさわやかな香りを放ちながら揺れている。
「孫にね、ニワトリを見せたくて連れてきました。さっきからずっとニワトリを見てます。近くにニワトリっていなくなったものねぇ」
「私はここのところ家の外には出られなかったんです。他人と会いたくなかった。でも、今日は来てよかった。」
「高校生の息子がね。学校をやめて農業したいというんです。ニワトリを飼ってみたいって。だから一緒に来ました。それもいいかなって。」
「全部の田んぼを無農薬でやってました。草とりが本当に大変でね。でも、もう歳だし、来年はそこまで無理するのはやめようかと話し合っているんですよ。」
 みんなが素直に自分を語っている。農民も、パート勤めのお母さんも、大工さんも、幼稚園の先生も、お坊さんも、学校の先生も・・・。いま、ここに居ることが本当にしあわせだと思えるような時間。やわらかな空気が静かに流れる田園のひと時。
だからどうしたのと聞かれると困るんだ。ただそれだけの事なのだから。でもね、それがとっても温かくてさ、ありがたくてよ。なんか生きててよかったなぁって思えるんだ。ただそれだけのことなんだけどね・・。
農業を生産物の取引だけで語ったのでは、その深さ、面白さ、豊かさが分からない。農民の暮らしもそうだ。所得の過多だけでは決して見えない世界がある。そしてね、その世界こそ農の魅力なんだよな。
  (大正大学出版会・月間「地域人」所収・拙文)
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