▼直江兼続の生涯 1 直江兼続の登場2007/09/19 11:44 (C) 戦国観光やまがた情報局
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与六の利発さに目を留めた、政景の正室で上杉謙信の実姉でもある仙洞院の推薦により、政景の次男喜平次(のちの上杉景勝)に小姓として仕えるようになりました。兼続6歳、景勝11歳のことといわれ、これ以後、兼続が死ぬまでこの主従関係は続きました。
その後二人は春日山城(現・新潟県上越市)に移り、そこで謙信から様々な薫陶を受け、上杉の「義」の精神を受け継いでいくようになります。
天正6年(1578)、謙信が急な病により没すると、上杉家の家督をめぐる争い、御館(おたて)の乱が起こります。兼続はよく主を支え、景勝方は勝利を収めます。この時の功績により、兼続は21歳の若さで家老に抜擢されました。
天正9年(1581)、御館の乱の論功行賞をめぐるいざこざに、上杉家重臣の直江信綱が巻き込まれ死去するという事件が起こると、上杉家中の名門である直江家が途絶えるのを惜しんだ景勝は、直江の名跡を継ぐよう兼続に命じます。
兼続は命に従い、信綱の死去により未亡人となった、3歳年上のお船(おせん)と夫婦となり、直江家を継いで与板城(現・新潟県長岡市)の城主となって、名乗りも直江兼続と改めます。