▼花作熊野神社記名の謎2019/06/21 08:54 (C) 獅子宿燻亭7
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昨年お盆に取材した長井市花作熊野神社の獅子頭の記名について調べている。
獅子頭には「十四世 大渕代 」とだけ記名を確認している。僧侶を意味する
記名と考え、熊野神社から現在一番近い寺院を考えると、あら町の薬師寺である。
調べてみると花作には釈迦堂があったが荒廃して廃寺し、本尊は薬師寺に移され
たとあった。そこで突然だが薬師寺にアポなしで訪ねてみると同級生の住職は快
く案内してくれた。
花作の釈迦堂から移ったという鎌倉期の釈迦如来像は蔵を改造したお堂に安置され
ていた。薬師寺の31代続く歴代の住職については本堂に掲示されていて、問題の十
四代目は「宥政 天明六年」とあり違っていた。大渕とは荒廃前の釈迦堂の住職だ
ったのだろうか?
薬師寺の本殿には目を引く日本画風の障壁画があり、黒獅子も描かれていた。
平成29年芸工大の専任講師だった大山龍顕氏の作で、四枚の襖に長井の四季の街
並みに曼荼羅の宇宙観を加え、壮大に日本画の技法で描かれていた。大山氏は以
前、成田の獅子頭の赤外線写真撮影などでお世話になっていた。
また以前こちらの所蔵の獅子頭のタテガミ植え替えも依頼された事があり獅子頭も
拝見した。現在は子供が激減して獅子舞も継続が困難になっているが、昭和三十年
のお祭りの記念撮影写真には子供達が溢れ、活気ある賑やかな様子が伺える。
今回は十四代大渕代の謎は解明出来なかったが、箱書きにあった明治二十八年の
奉納者たちと、保管している家に焦点を移して調べてみよう。