▼白川ダムに沈んだ矢渕村の獅子舞2019/01/05 21:33 (C) 獅子宿燻亭7
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昭和56年飯豊町白川ダムの建設のため14集落が水没し139戸が移転となった。
水没した集落に矢渕という集落があり熊野神社があった。そのお祭りの様子を
矢渕生まれの故鈴木応吉氏(長井市)が「我が家の年中行事」という小冊子に
書き残しているのを見つけた。
「六月十五日は、熊野神社の例祭である。前日十四日屋敷中総出で、参道
や、お手洗い場、そして広い庭内を掃除し、拝殿、本殿を掃き清め、拝殿
には畳を敷いて、幔幕を張り巡らし、吹流しと幟を立てる。夜祭りにはお
獅子様が出る。時には大鹿・洗尾・中ノ沢迄、お獅子様の足を伸ばし、ご
神酒を戴きながら、神社に帰る時は翌日になる。戴いたお灯明料で、子供
達を混じえながら、菓子を沢山買って、腹いっぱいいただいた。祭礼当日
の十五日は、餅を搗いてとり餅を神様に供えて礼拝する。戦前から戦中に
かけて、氏子が参集し新田神主が、お祓いの祈願祭を執り行い、戦前には、
大きな鍋に「鰊汁」をして、それに一重一本の持ち寄りで盛大に直会が行
われた。戦中には、戦勝の祈願と、出征兵士の武運長久の祈願祭がとり行
われた。戦後いつとはなしに右のような集団的な祭礼行事は姿を消した。」
原文より・・・とある。
当時の賑やかで楽しそうな様子が伺えるが、この文章の中の「お獅子様」
とはどんな獅子舞だったのだろうか?獅子頭は赤なのか黒なのか?非常に
気になる所である。 これ以上読み取ることは出来ず想像するしか無い。
恐らく神社も移転されたと思われるので調べてみよう。獅子頭も祟りを恐
れ無沙汰にはしないだろう・・。何処かに眠っているかも知れない。
故井上俊雄著 「中世熊野の世界」より引用