▼鮎貝八幡の古獅子2018/10/26 08:19 (C) 獅子宿燻亭7
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白鷹町鮎貝八幡神社に伝わる謎の獅子頭を拝見した。
一切詳細不明の獅子頭である。
扁平で角ばり平ノミを用いた彫り痕は荒く、朱単色の塗りも簡素で長い年月で虫食いも多数見られる。
眉毛や眉間にかけての彫りが集中し、耳は欠損し取り付けた穴の痕跡すら無く制作途中を思わせるような
状態である。
後頭部内部には、記名部をノミでえぐり取った様な痕が残っている。
この獅子頭が収まっていた獅子箱の記名には
「獅子頭 別当 金蔵院 獅子箱奉納 宮城市三郎 」
とあり現在用いられているタイプの初代の京都産伝の獅子頭の箱ではないかと推測する。
その箱に獅子頭と一緒に二本の木製の諸刃の剣状の鉾(ほこ)があり、歯に沿って溝があり、多数の毛を植
えた痕があった。これは日本橋小舟町八雲神社などで見られる獅子頭にあり、後頭部に毛を植えた剣(鉾)
を取り付けて、尻尾の様にも見える。
赤外線カメラの撮影
福島県三春町 田村大元神社の獅子頭を制作した時、獅子幕の尻尾として剣も制作した。
塗りを見ると古獅子の塗りとは違い、灰色の下地に朱の漆を塗っているので、京都産伝の初代の獅子頭の
物ではないか。
古老の話によると、この獅子頭は西田尻の横越太郎が伝えたという。
現在の神社は古八幡の旧若宮町と呼ばれる城址から移転したもので、その神社の子獅子頭を以前修理して
いる。早速、現地に手がかりの金蔵院を探しに行って古八幡前の現地の方に聞いてみたが知らなかった。
図書館から資料を借り自宅に戻りると直ぐに、獅伝の親分から連絡が入った。
鮎貝で古い地図を見せてもらった所、金蔵院の名前があったのだ。
現在の地図と照合すると、正に古八幡の入り口に位置し、灯台下暗し先程の現地の方の家の真ん前だった
のだ。早速場所を尋ねた菅(かん)家へ確認すると、地図にある赤間清齋(金蔵院)家と思われる赤間家
が50m先程の家で昔、神主をしていたという事が分かった。
・・とすると地図の旧八幡宮を拡大して考えると赤間家の位置が探している金蔵院と重なる。
現在、赤間家に確認中である。
また別の古地図があり、中條家に伝わる享保二年に制作したもので古八幡の参道が真っ直ぐ南に伸びて
街道にぶつかっている。立派な鳥居の絵が描かれている。
グーグルアースで眺めてみると細い旧道のあったりして探究心を大いに揺さぶられるのだ。
金蔵院について調べると1713年正徳二年の宮城家が創始で演舞奉納された獅子頭の由縁が出てくるかも
知れない。