▼東大塚門の目 庄右衛門の獅子頭2018/09/11 09:59 (C) 獅子宿燻亭7
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獅子踊りの獅子とあるが神楽の獅子頭、耳は新しく別になっている。
川西町大塚村史にあった上の獅子頭の現物の写真をついに撮影することが出来た。
羽山神社の初代と思われる寒河江家の獅子頭の取材から、すぐに同所にて取材のハシゴが出来たのである。
数年前、こちら須貝家に獅子頭の取材を願い連絡を取ったが、怪しまれて実現しなかった。
何しろ押しの弱い性格なので情けない・・。
案内して戴いた方の家はすぐ近所で、そのお陰で突然のお願いもスンナリ許された。
玄関には気の弱そうな番犬が、怪しい訪問者達に驚いて目を白黒させてお尻をクンクンさせていたが
獅子頭取材となれば苦手な犬族はもう目に入らない。
過去帳を拝見すると明治33年に亡くなった庄右衛門がターゲットの庄右衛門の可能性があるのではないか。
「○○院覚性良夢居士」という戒名から伺えるのだ。
大塚村史には東大塚の獅子踊り(青木源内文書)・・寒河江氏の前当主によると 獅子踊りの創始は
弘化三年(1846)頃とあり、6代目庄右衛門の亡くなる54年前で、血気盛んな20代に獅子踊りを立ち上げた
とすれば有り得る話である。
また源内文書には、「大塚三下中の大念仏踊」の話があり文久三年、西大塚の八幡神社屋根大修理完了と薬師
堂の再建を記念して大供養を行っている。
西大塚村より、南無阿弥陀仏の旗を先頭にして、念仏踊りの大行列に東大塚の門の目と東田屋の獅子踊りと
更に町田の念仏踊りも加わり「大塚三下一統」に相成り、見物人も数百人が集まり前代未聞の念仏踊りになっ
たという記録があった。
獅子踊りの役割には
元締三名 世話人六名 角力二名 警護一名 纏持五名 竹張二名 笛七名 歌十四名 中立四名
花心立二名 獅子六名 師範 庄右衛門
花心立には「おちよ」という珍しく女性の名前もあった。
「口碑(言い伝え)に依ると小松の獅子踊り、菊田の念仏踊りは、東大塚の庄右衛門に伝授されたと言い伝
う」と有り庄右衛門は只者ではないことが記されていた。
拝見した獅子頭は小振りの神楽獅子で記名も無く詳細不明だった。
この獅子頭や獅子神楽については大塚村史には何も無買ったが、寒河江家の仏像や西宮戎のお札を見ても
この地に獅子神楽があり庄右衛門らが中心となり獅子神楽が周辺の村々を回った事が推測される。
庄右衛門が西宮や伊勢に赴いて神楽を習得して帰り、地域に唯一の潤いをもたらしたのだろう。
獅子頭を眺めていると、以前取材した高畠町金原新田の原田弥市や弥六の獅子の作風が彷彿してくる。
正に庄右衛門の戒名は、獅子踊りや念仏踊りを満喫し、人生を十二分に謳歌した者が授かったものだろう。