▼東大塚は羽山神社の獅子頭2018/08/28 08:42 (C) 獅子宿燻亭7
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神社関係者の方と羽山神社の拝殿にお邪魔した。お祭りが終わったばかりで境内は綺麗に片付けされ
整然としている。
神社には、獅子幕が乾燥の為に拝殿いっぱいに広げられていた。
こちらには四頭の獅子頭が所蔵されていている。
初代は赤い獅子で詳細不明で現在消息調査中。
2代目は宮内の菊地熊吉氏、宮内菊人形の創始者で三代目を制作した菊地忠男氏の父親である。
長井の渡部 武氏が仲介した様だ。菊地忠男氏は宮内で熊吉氏の跡を継ぎ、奇しくもその会社に私が
入社していた時期がある。
熊吉氏独特の黒い獅子頭は宮内熊野大社所蔵の一対の獅子頭様式を一貫して作り続けていたので作風が
明確である。忠男氏の大獅子は赤の獅子頭で初代の赤い獅子をモデルにした可能性がある。
強化プラスチック製の獅子は重すぎて獅子舞には二回程用いられただけで引退してしまっている。
熊吉氏の獅子は拝殿で見つけた昭和56年(1981)のモノクロ写真で見られるように長く用いられていたが
顎が破損し引退した。モノクロの獅子舞写真は当時の賑やかだった祭りの様子を伝えている。
コメントが加えられて拝殿等に展示されていたのだろう。
獅子幕の箱に昭和27年の記名があり、熊吉氏の獅子頭新調の時期と考えられる。
多人数動員を要する獅子舞は、人口減少と神社信仰の稀薄化など地域力低下により継続出来ない時代が
来るだろう。
せめて神社拝殿に残されている繁栄した証を解読し、次の世代に伝える事が懸命だろうと話し合った。