▼ふら〜つと玉庭の瑞光寺へ2018/06/30 18:07 (C) 獅子宿燻亭7
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降り注ぐ強い日差しで工房が暑くて堪らない。
それもあって何故か・・ふら〜っと川西町玉庭の御伊勢町は瑞光寺へ訪れた。
空には入道雲の間から真夏を思わせる日差しが運転席の右手にチクチク刺さる様だ。
先日から蝉の鳴く音も聞こえ始めている。
目的は御伊勢町の両皇大神社の獅子頭と例祭日の情報収集である。
天文21年(1552)開山の玉庭山随行寺のご住職は川西町の職員だった頃に、獅子踊りの獅子頭張子の木型
制作などでお世話になり面識があった。訪れると快くお話を聞く事ができた。
何故、両皇大神社についてかというと、獅子頭の作風が「米沢の神社と堂宮13」の資料にあった米沢市
簗沢の八雲神社の獅子頭の作者である「笹野の源右衛門」の作風と思われるのである。
お祭は9月16日だが6日に行っているが、人手不足で獅子舞は途絶えてしまったらしい。
以前は一人が獅子頭を持ち五、六人が同行しての「追い獅子」の形だった。
お囃子について以前から笛太鼓があるらしいとの噂を聞いていたが、実際は軍楽隊が演奏した時期もあった。
玉庭は上杉藩の下級武士の集落で、フランス式の軍楽隊が存在していたというのだ。
戦時中は特に盛んで、戦争に招集された若者を白い軍服で決めた軍楽隊が小松駅まで送って激励したという。
その後、小学校の運動会の行進で演奏したが昭和55年頃になり小学生ブラスバンド結成により衰退してし
ていった。
平成12年頃、ご住職たちで御伊勢町楽隊保存会を発足し復活を計ったが実現することはなかったという。
楽器は様式の大太鼓と小太鼓と明笛とシンバルで、洋式の大太鼓はそのまま獅子舞の太鼓に用いられた。
さて瑞光寺のご住職のお父さんが買い求めた獅子頭コレクションを拝見できた。
輪島塗の獅子頭で詳しくはわからない。
調べてみると加賀(金沢系)の特徴ある獅子の様だ。
耳や幕口にワタのの入った紫のクッションが取り付けてあり、飾り獅子だが細部も凝った作りである。
眼球の白目には銀箔を用いたり、タテガミは元を和紙でまとめダボで青苧の繊維が取り付けられている
のは珍しい。
座布団は力士が土俵下で使う様な長い物を二つに折りたたんでいる形だ。
前住職が獅子堀を試みようとしてモデルにしようと現地で求めた獅子頭らしい。
牙が先日、岩倉神社で見た柳 亢右衛門の獅子頭、長い耳は広畑の一ノ宮神社の獅子頭と重なる
やはり獅子頭のルーツは北陸金沢方面だろうか
歯に太鼓鋲が打ち付けられ歯打ちをするとカチカチ音がする工夫がある
軸棒は鉄で、竹を割って取り付けていて、舌はその上部に舌を取り付ける角材が固定されていた
以前奈良の手向山八幡の鎌倉時代の獅子レプリカを製作したが、その構造と類似したものだ
話をお聞きしているうちに部屋がみるみる暗くなり、雷が鳴り出し激しく雨の音がしてきた。
通り雨にしては降り止まないので、突然の訪問のお詫びをしながら軽トラに飛び込んだ。
御伊勢町も高齢化と人口減少が著しくアチコチ空き家が倒壊しているのが目立つ。
稲妻が近くに落ちてバリバリ振動が車の窓ガラスに伝わってくる・・逃げ帰る様に玉庭集落を後にした。