▼上山月岡城御用神楽の太夫2018/03/15 08:50 (C) 獅子宿燻亭7
▼お神楽の写真が懐かしいです!小さい頃よく家で三味線と笛にあわせひょっとことおかめ、獅子舞を見せて頂きました。今は亡き方々がとても印象深く残っています。ありがとうございました。
2022/12/07 14:59:モリヤ
▼もりや様コメントありがとうございます数年前、太夫の佐藤さんから上山にあった月岡城御用神楽について様々興味深いお話しをお聞きしました。それ以上の事は現在も分かっていないのが残念です。もりや様からのコメントを頂戴し大変嬉しく感じております。出来ればご存知の範囲で詳しい思い出話しをお聞きしたいのですが如何でしょうか?
2022/12/08 07:36:獅子宿店主
▼お神楽についてですが一番始め黒ひげの男の面を被った人が鞘から刀を抜き、神棚の前で一振りし、手を合わせます。和装の大おじの凛とした三味線に合わせて高音の横笛、調子良く鳴らす太鼓、曲間に小さいシンバル、ジャグリングのように曲芸もしながら皆一様真剣で、最後まで一糸乱れぬ奉納の獅子舞でした。
取材ありがとうございました。
2023/04/08 14:24:モリヤ
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上山市の鶴脛(つるはぎ)に訪れた。
月岡城(上山城)御用神楽の太夫である佐藤多美夫さんに取材をお願いしたのだ。
佐藤さんは10代続いたという神楽師の家に生まれた。
昭和15年生まれ、中学を卒業すると寒河江の阿部義信太夫に弟子入りしたが、直ぐ辞め東京
の神楽師の叔父へ改めて弟子入りしたという。叔父の森吉辰雄氏は父の弟で全国はもとより
ロシア以外は外国へ興行に出掛けた。その時、テレビでも著名な海老一染之助染太郎も同所で
修行をしていたという。
佐藤氏は15年前までは神楽を継続していたが、病気や高齢の為、止む無く引退している。
獅子頭を担ぐための帯が付いている
こうして獅子を担いで移動する
7年に一度修繕のため塗り替える獅子頭
数年前に脳梗塞で手足が不自由だが、お話を聞いていると記憶が幅広く鮮明で驚く。
月岡城御用神楽の歴史は古く、初代の太夫は城主の殿様の松平氏と一緒に上山に移ってきた
時代から遡ると20代にはなるという。
各地の太夫の名札額
上山市史 民俗資料編に神楽の資料があり、それによると
まず境内の広場にムシロを敷き、かたわらに移動神座の道具箱(長持)を置き、三味線
笛、太鼓、鉦などの鳴り物の人々が並ぶ。最初は観衆を集める前座として太夫、才蔵(万歳
で太夫の相手を務め鼓を打ち、滑稽な仕草で人を笑わせる役)の万歳が始まる。この万歳は
「掛け合い万歳」といって節面白く太夫が語り出す言葉を才蔵がからかう。すると太夫は持っ
ていた扇子でポンポンと才蔵の頭を叩いて観衆を笑わせる。
やがて万歳が終わると、黒装束のおかめ(天宇受売命)が出て、囃子に合わせて舞踏を
演ずる。両手に四ツ竹を挟みカチンカチンと踊る姿に見惚れる。そこへヒョットコが振り
面白く出てくる。その時おかめは錫杖(しゃくじょう)左手に御弊(ごへい)を持ちながら
ヒョットコと掛け合い話をする。
やがて万歳が終わると、いよいよ獅子舞である。
獅子頭に後被りと二人掛かりで勇壮な舞を行う。
あるいは高く獅子頭がカタカタと歯を打ち鳴らすと、後被りもまた、前に合わせて飛び跳ね
る。
舞い疲れた獅子はやがて平つくばってムシロの上に寝てしまう。時折耳を立てて
辺りの様子をうかがう。
そこへ、再びヒョットコが現れ、寝ている獅子を見て驚き、なり振り面白く獅子にからかう。
目を覚ました獅子は怒り出しヒョットコを追う。ヒョットコは獅子の前や後ろ逃げ回るが
、やがて獅子に足を噛み付かれ、逃げようとするが離さない。その滑稽な姿に観衆は万雷の
拍手を送る。それが済むと曲芸に移る。中略
このようにして丸一佐藤太夫一行のの神社奉納が終わるのであるが、これらの人々がここま
で演ずる平素の修練が一つの美しい芸能を生み出すのである。
彼等はこうして、その夜は部落の定められた民家を宿にし、翌日は朝早くから各戸を訪問し
て獅子舞を演じる。そのとき獅子頭は大きな口を開けて家人一人一人の頭を軽く噛む真似をす
る。これは神の力によって無病息災を念ずる呪いの一つであると信じられている。金色の眼球
をむき出した獅子頭に幼児は恐れ泣き隠れるが、身体堅固、無病息災を願う母親は泣く子の
頭を差し出し、獅子は噛む真似をする。勿論、その時は家々によって多少異なるが米一升を奉
納する習慣になっていた。これに金子(きんす)など添えると更に置く内で踊りや曲芸を演じ
て奉納する。これを土地の人々は「神楽回り」と称している。中略
昔は、子どもが何の能力も無いと「神楽に呉れてやる」といわれてきたが、最近の神楽は
難しい演技を修得しなければならず、到底俗人のできる業ではなく、立派な伝統芸能となっ
た。しかし、先にも言った通りどこの芸道も同じ、後継者難にさいなまれ、これらの民俗芸能
もやがて見られない時期が来るのではないだろうかと、心配するのは佐藤太夫ばかりでない。
これも何らかの方途を講じ、保存継承して保護していかなければならない大きな課題を背負っ
ているものといわなければならない。 以上
この資料は古く、先代の佐藤辰蔵太夫(明治38年生まれ)が活躍していた頃のものだ。
最後は神楽の行く末に切実な危機感で締めくくっている。
神楽の描写を見ると現在の念仏踊りや獅子舞にも通づる所作が思い浮かぶ。
神楽の獅子舞の歯打ちや幼児の恐がる様子など現在の獅子舞いに重なって来るのだ。
更に佐藤多美夫さんの初取材から、不明だった置賜や村山の神楽太夫や獅子彫りの名前も
聞き出す事が出来た。
最上義光公から拝領された400年前の獅子頭が見つかるかも知れない!
つづく