▼上杉伯爵亭(上杉記念館)2018/02/03 06:00 (C) Atelier Li-no
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上杉神社は朝通勤時に少し早めに行ったときは堀の周辺を散歩します、その堀沿いに上杉伯爵邸があり上杉記念館でもあり会食を楽しむことができます、自腹ではなかなか行けないでいたのですが会社で従業員の誕生会があり会食楽しみました、ここは市のHPによると明治29年、上杉茂憲伯爵(上杉氏十四代・最後の米沢藩主)の本宅として造営、敷地約5,000坪、建坪530坪と壮大な大邸宅で、鶴鳴館(かくめいかん)と呼ばれました。しかし、大正8年の大火で類焼し、伯爵を継いだ上杉憲章は、おもに東京で生活したことから、当初は米沢の本邸再建は見合わされましたが大正10年になって再建が計画され、翌11年7月に着工、翌12年には世子部屋(お子様部屋)・台所などを建て、門・土蔵などすべての建物が完成したのは大正13年、翌14年5月に落成の祝宴が開かれました。とあり現在の上杉記念館となります。建坪は285坪と焼失前の約半分となりましたが、銅板葺(どうばんふき)で一部二階建、柱や長押には木曽檜を用い、玄関・門は総欅造りと、落ち着いた中に気品がただよう純日本風の邸宅となりました。庭園は東京の浜離宮庭園を模して造園したもの設計者は中条精一郎です。中条は米沢藩士中条政恒(安積開拓に功績)の長男で、東京帝国大学工科大学で建築を学び、また上杉憲章に随行して英国に留学、ケンブリッジ大学で建築学を修めました。その後、曽禰達蔵(そねたつぞう)と建設事務所を設立し、慶応義塾大学図書館や東京海上ビルなど数多くの設計を担当したということです、昭和54年から、市内観光の中核施設「上杉記念館」として、観光客や市民に開放されています。ゆっくりと食事を楽しむにはいい雰囲気のところです、郷土に伝わる伝統料理などとてもおいしかったです。