▼白鷹町の囃し屋台2016/09/23 10:23 (C) 獅子宿燻亭6
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明治期に貝生に囃し屋台があったので、ご紹介しよう。
「囃し屋台は明治の初期、色街遊びを制するために横田尻の大工 貞作とかを招き
笛、太鼓、三味線などを習った。大木仲次は手踊りが巧妙であった。囃し屋台の始まりは、
保科佐蔵、保科与作、工藤八弥等が始めた。
一代は大木仲次 二代は工藤久次郎 三代は工藤孫作 四代は御代田丑之助 五代は著者
佐竹忠左衛門の納屋で貝生衆十五、六人、平 長四郎の蚕部屋で十王衆二回で三、四十人が集まって
練習した間のだが時代の変遷で古いものは、とみに廃れていった。」
貝生老人クラブでまとめた記録である。
現在では考えられない祭りに向ける情熱が感じられる。
また、音楽隊の話もある。
「大正二年に貝生音楽隊を組織した。それで町役場の嘱託となった。(楽器は町のもの)天皇
(大正天皇)の即位、青島陥落の祝いに旗行列、提灯行列の先頭になって貝生の薬師堂から大瀬分校
まで何回も歩いた。曲目は君が代、日本陸軍、黄海の戦、橘隊長、広瀬中佐、神の国、箱根山、散歩
唱歌、鉄道唱歌、地引きの岩、荒城の月、美しき天然等。
当時の楽手は
明笛 工藤六兵衛 工藤長太郎 川村惣助
大太鼓 佐藤釿一
小太鼓 菅原孝吉 安達武吉 」・・とある。
曲目を見ると音楽隊というより戦意高揚の軍楽隊である。そのレパートリーの多さに驚く。
今でも天童や上山に軍楽隊があり、このような行列だったのではないか・・。