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▼岡本敏子さんとの出会いと別れ

岡本敏子さんとの出会いと別れ/
先日、何気にTVをつけたら、
石井竜也さんが岡本太郎さんの話をされていました。
NHK「知るを楽しむ」私のこだわり人物伝より
その中で
岡本太郎さんの養女敏子さんの話が出てきました。
番組が進むうちに???・・・・!!!
私はこのとき、
岡本敏子さんがお亡くなりになったことを知るのでした。

私と敏子さんが出会ったのは平成15年秋のことでした。
旧朝日村で開催された
「六十里越フォーラム」でのことです。

岡本太郎さんと敏子さんは、
傾斜面にへばりつくように立つ多層民家の群落風景をとても気に入って、昭和37年〜38年にかけて、何度も田麦俣集落を訪れていたのだそうです。
敏子さんの前に立てかけられているパネルは、そのときに撮影された写真の1枚です。

あのとき、40年ぶりに田麦俣集落へ訪れ、多層民家がほとんど消えてしまった様子を見て
『あの、訪れるものを威圧するようにどっしりとたたずむ多層民家の群落風景が
今も残っていたなら、白川郷にも負けないくらいの素晴らしい遺産になっていただろうに。。。』
と、とても残念そうに話されていたことを思い出します。

多層民家は昭和40年代頃からどんどんと姿を消し、
今では民宿1軒と見学できる建物1軒と数件を残すだけとなってしまいました。
それを維持しながら生活をしていくということは、並大抵のことではなかったと思います。
地域の人たちをせめることなんてできません。
「荒沢村」と同じように時代がそういう時代だったのです。

今は昔のものを見直そうという動きもいろんなところで見えていて、とてもうれしいですね。
この「六十里越街道フォーラム」もそんな中で行われたものでした。

岡本敏子さんは、体は細くって背も高くなくってとってもきゃしゃな体系の方でした。
それでも、とってもパワフルで好奇心旺盛にくるくると動く瞳がとても印象的な
とっても素敵なとっても魅力的な方でした。
画面には、あのときと変わらずに表情豊かに話をしている敏子さんが映っていました。

調べてみると、敏子さんは平成17年4月にお亡くなりになったようでした。
私がお会いして1年半後ということになります。

平成15年秋に初めてお会いして、
翌年16年秋のフォーラムでいらしたときには、残念ながら予定があわず参加できなくて
『あ〜、敏子さんがいらっしゃるのに行けないなんて〜。もっとお話を伺いたかったのに。。』
と、がっかりしていました。
その後、昨年(平成17年)秋に行われたフォーラムには
講演者の中に敏子さんのお名前がありませんでした。
『今年はいらっしゃらないんだぁ〜。またお話できないのかぁ〜。
またいつか、機会があったら、お話したい。』と、思っていたところでした。

それが思いがけずにこんなところで他界されたことを知ることになるとは。。。

番組は、昨年(平成17年)11月に4回にわたり岡本太郎さんを取り上げたもので
私が見たのは再々放送(?)のようでした。
4回の放送の中で岡本敏子さんの話をされたのが3回目だけ(?)。
それを偶然つけたTVで見ることになる。。なんだか、不思議なものを感じます。

フォーラムの翌日には、参加者全員で「六十里越街道」をトレッキングしました。
みんなの先頭に立ち、元気いっぱいにしっかりとした足取りで歩いていた姿が
今でも思い出されます。

また『明日の神話』という壁画の事を、番組で始めて知りました。
見つかったときの敏子さんの喜びはどんなに大きなものだったのでしょう。
トレッキングをしながら、原生林のブナの林を見て
「生きることと死ぬこと」という話をしてくださったことを思い出しました。

今頃は、岡本太郎さんの傍でニコニコ微笑みながら楽しいおしゃべりをされているのでしょうか。
ご冥福を心からお祈り申し上げます。
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