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▼【米沢の史跡】 法泉寺(禅林寺)

上杉家とともに越後から会津、米沢と移された寺が多い中、禅林寺は元和4年(1618年)に上杉景勝公の命で直江兼続公が普請奉行となり米沢の地で開かれたお寺です。開祖には 足利学校 に学んだ僧「九山」が迎えられ、直江兼続公の蔵書と九山和尚の蔵書を納めた藩の学問所「禅林文庫」が併設されました。これらの蔵書は後に上杉鷹山の藩政改革の礎となり藩校興譲館から米沢市立図書館に所蔵され「米沢善本」の一部を成しています。法泉寺の境内は大正6年と同8年の米沢大火の後に道を通したため南北に二分されてしまいましたが、北側の境内に残った庭園は 林泉寺鳳台寺 の庭園とともに美しい庭として「米沢三名園」に数えられた時代もありました。尚、元禄3年(1690年)、第五代上杉綱憲公の命により寺号は「禅林寺」から「法泉寺」に改号され現在に至っています。

法泉寺境内に建つ文殊堂。(北側の境内)


直江兼続公の歌碑が建てられています。(北側の境内)



直江兼続公の歌碑に刻まれた「文武両金」の文字。(文武両道と同じ意味)


かつての「米沢三名園」も手が入らないためご覧のような状態になっています。(北側の境内)


法泉寺の地図



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