ヤマガタンver9 > 【米沢の史跡】 直江兼続公が造った防衛機能「寺町」

Powered by samidare

▼【米沢の史跡】 直江兼続公が造った防衛機能「寺町」

米沢は周りを山に囲まれた盆地にありますが、米沢城(現在の上杉神社)から見て西側と南側はすぐに山が迫るものの、東側と北側にはある程度開けた土地が広がっています。今から400年前、直江兼続公は四囲の徳川方大名に備えるため米沢の町全体に防衛機能を持たせました。その一つが「寺町」という仕組みです。通りの両側に寺を配し住宅団地ならぬお寺団地を造ったのです。寺には武器武具を常備し、事が起きれば寺に駆けつけ戦支度をします。大きな本堂は待機に、台所は給仕に、境内に不規則に並んだお墓は敵の侵入の勢いを弱めたり盾の代わりにするなど、直江兼続公は寺本来の姿のまま防衛に活かされました。今現在も「東寺町」(ひがしてらまち)には沢山のお寺が建ち並んでいます。

国宝上杉文書一八七四号 「御城下絵図」 米沢市上杉博物館所蔵。
許可を得て掲載しています。

※絵図上の文字は上杉時代館が書き入れたものです。今も「東寺町」と
「北寺町」は現存しています。



上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
(C) Stepup Communications Co.,LTD. All Rights Reserved Powered by samidare. System:enterpriz [network media]
ページTOPへ戻る