▼【米沢城跡】 伊達政宗公生誕之地2012/05/30 23:00 (C) 上杉時代館の「直江兼続公」講座(別館) - 山形県米沢市
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▼【米沢城跡】 伊達政宗公生誕之地2012/05/30 23:00 (C) 上杉時代館の「直江兼続公」講座(別館) - 山形県米沢市
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「上杉」一色の米沢にあって唯一の「伊達」の文字。(以前は標柱でした)
今は立派な石碑となりました。(標柱は撤去されたようです)
本能寺の変で織田信長が亡くなり、上杉景勝公、直江兼続公が初めて豊臣秀吉と面会していた頃、米沢の伊達政宗公は、会津侵攻を目的に米沢から喜多方に通じる大峠(おおとうげ)を開いたり、米沢城下の西部では新しい山城を築くための工事を行っていました。伊達家の岩出山移封により城は未完成のまま終わりましたが、今でもその名残からこの一帯は「館(たて)の山」、「舘山(たてやま)」という地名になっています。平成22年から米沢市教育委員会によって調査が行われており、平成24年度からはいよいよ本丸の調査が始まります。
(画像は舘山公園から見た米沢市内)
築城工事が行われていた頃の天正17年(1589年)、伊達政宗公は骨折され小野川温泉で湯治されたとの記録が残されています。
伊達政宗公生誕之地の標柱の地図
上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)