▼影を慕いて2012/01/25 21:26 (C) 山の仙人になりてーなぁ〜
▼無題終生、秀吉を慕った
石田光成の様に 義に生き、義に死せれば本望? ならば、今の世なら 義は何にあたる? すべてが青くさ過ぎて 自分の信念を貫き過ぎて嫌われた光成が ある意味羨ましい (上っ面だけの歴史を見ると光成のイメージって相当悪いけど、よく知ると、実直で、人気者の信長より好印象な人物よね) 青春 ただ漫然と過ごしてたから 胸焦がれるとか 苦しくて仕方ないとか よく分からない 今も 漠然と過ごしてたりするし ただ 自分に出来る範囲の事を懸命にするだけ 仕事も、遊びも、休息も 力一杯やる だけかなぁ それしか出来ないしね 2012/01/26 00:08:麦チョコ
▼麦チョコさま麦チョコさんのコメント・・・携帯からアップのせいなのか、PCの俺のブログの右側にコメントアップの表示が出てくるのが遅くて、毎回発見が遅れてしまうんだわさ(-_-;)
青春なんつったって、あったんだか無かったんだか・・・ いつの間にか壮年になっちゃってて・・ いったい俺の青春て何だったんだぁ〜みたいな感じだよ。 23歳で家出してここへ来て、そんで今まで、多分これからも精一杯生きているような気がする。 20代は高畠に住んで、揺れてたね〜 どうしたらいいのか、知り合いも幼馴染も一人もいない世界で、ただ善意に支えられて生きていたんだろうね。 今は、この地域の全てが見える。 悪意というかひがみ根性とか、それでやっとまともな住民になった気分ではあるけど、ちょっとね〜、笑っちゃうよ。 俺は俺なりに俺らしい生き方をしていて、そんなもんでなかなか良いんじゃないか、なんて勝手に思ってる。 ん〜なんだか何を書こうか分らなくなってしまったのだが、 とにかく、みんな精一杯って事だね。 嘘ついたり、人を騙すのが追い込まれているみたいに見えるけど、本当はそういう人は余裕があるんだよ。 めいっぱいがむしゃらな人間は、嘘ついてる余裕がないのかも知れないね。 2012/01/27 10:48:kuma仙人
▼若いという字は苦しい字に似てるわ高みの見物をしているつもりはないのですが、若いからこその辛さは付いてまわるのではないかと思います。ヨボヨボではないけれどすっかり油が抜けた{油がきれた}年齢になった今思うのは「歳をとるのもいいものだ」ということです。悩んだり怒ったりする体力がなくなったのかもしれないです。少し無理してるか?
昔の歌で「若いという字は苦しい字ににてるわ、、、」なんていうセリフがありましたね。迷い迷いの青春はなつかしいです。でも子供時代には戻りたくないです。 2012/01/29 18:12:mim
▼寒いですねえmimさんはじめまして…。
「明日」という字は、明るい日と書くのね、「若い」という字は苦しい字に似てるわ。 そうですアン真理子さんの「 悲しみは駆け足でやってくる」でしたね。私には素晴しい、昭和の名曲です。 今は「盛旬」と思いこんではいるのですが…(^o^) 2012/01/30 21:11:マロ7:URL
▼すっきりしましたマロ7さま、はじめまして。
ワンフレーズしか思い出せないで、歌手の名前も思い出せなかったので、周辺が明るくなってすっきりしました。ありがとう。 仙人さんのページで遊ばせていただいて、ありがとう。 2012/01/31 09:29:mim
▼mimさまマロ7さまどうぞどうぞ、私のページで出会いが広がれば、それは幸せと言うものです。
人生も、ブログも、そうありたいと願っています。 2012/02/02 18:01:クマ仙人
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寝床に持ち込み布団に入りいじくっている。
ウォークマンにオーディオテクニカのヘッドフォンをくっつけて、ある曲を繰り返し聞いている。
クマ仙人のブログタイトルにもあるが、「生きるということ」をたまには考えてみたいと思う訳である。
お金は本当にない生活であるが、生活そのものはしあわせな生活である。
満たされていると、若い頃の様に「何故生きているのか」とか「何故生まれたのか」などと、そう言う事を考えなくなる。
何が満たされているのかよく分らないのではあるが、とにかく今という時を幸せにおくれている訳であるが・・・・・
ウォークマンから流れる曲を聞いていた。
ある曲、タイトルで明かしているのでもったいぶる必要もないのであるが、
歌川二三子という歌手が歌う「影を慕いて」
もともとは藤山一郎とか美空ひばりが歌った楽曲である。
古賀政男が作詞作曲の歌である
彼がこの曲を作詞作曲したのは、俺より遥かに若い頃であるが、曲もさることながら、この歌詞。
いつ聴いても痺れてしまう。
そして、人生を考えたくなるのである。
まぼろしの 影を慕いて 雨に日に
月にやるせぬ 我が想い
包めば 燃ゆる 胸の火に
身は焦がれつつ 偲びゆく
わびしさよ せめて痛みの 慰めに
ギターをとりて つま弾けば
どこまで時雨 ゆく秋ぞ
トレモロ寂し 身は悲し
君ゆえに 長き人生(ひとよ)の 霜がれて
永久に春見ぬ我が定め
長ろうべきか 空蝉の
儚き影よ 我が恋よ
ここではネット上、ユーチューブで公開されてる森昌子の歌を紹介しておきます。ユーチューブでは美空ひばりや藤山一郎、古賀政男本人の音源もありました。ユーチューブ(森昌子の影をしたいて)
何とも・・・・
なんとも・・・・
そう言えば、俺にだってこんな想いの青春もあったさ
苦しくて、苦しくて、道に迷う青春
触れば薄氷の様に音を立てて崩れ去るような青春。
繊細で、いろんな曲を聞くたびに流した涙
うす暗い白熱灯の下で、友と語り明かした日々
命に敏感で、感性が震え続けた青春
毎夜聞く音楽
人生が永遠の様に長く、老いる事など想像もできなかった日々
おいらの本質は変わらないのだろうが、感性は鈍感になり、そして奏でられる音にも鈍感になった。
生きる方向に変わりはないのだろうが、繊細さはなりを潜め、そして図太さが台頭する。
それが歳を重ねるという事なのであろうが、せめて政治家のような歳のとり方はしたくないものだ。
ギターのコード切り替えの予音にさえ痺れ、そして感じ、泣いた頃もあったのである。
いまでは、命にかかわるどこかの偉い人の嘘を平気で流し去る俺がいる。
それでいいのか・・・
涙を流し抗議したろう、そんな青春の自分を想像し、愕然とし、そして落胆し、自分の・・・大人となってしまった自分にこれでよいはずはなかろうと問う。
そうか、俺は大人になってしまったのだ。
なんてこった。
永遠の少年でありたかったはずなのに・・・・・・
古賀政男を何度も
何度も聞きなおし、
そして
青春の、我の影を慕う