▼彼の礎・・・・毛皮2012/01/12 20:18 (C) 山の仙人になりてーなぁ〜
▼大きくて立派ですねお子さん二人のせてもまだ余裕があるのですね。
立派です。月の輪の白がっくきり見えます。 2012/01/13 10:40:mim
▼mimお姉さま大きなクマでした。
これほどのツキノワグマにはそうそう出会う事はできません。 素敵な生き物です。その命を絶った事に何の感傷もない、とは言えません。 我が家で大事にしたいと思っています。 自然は美しいです。 そして、津波や地震のように激しく厳しくもあります。 山であれ、人の命など簡単に奪われ、それをして山や自然は動じません。 そんな中に生き抜ける幸せを改めて痛感するのです。 願わくば世界中が、優しく美しい自然の懐にて、共にあらん事が願われますね。 2012/01/13 19:26:kuma仙人
▼タッシー兄貴へでかいよ〜
あの、抱きついて写真撮ったやつだから。 結構最大級サイズのだよ。 もしかすると・・・ヒロ坊のところに行くかも???? 2012/01/23 15:07:kuma仙人
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昨年、秋から初冬にかけ熊を狩った。
幾つかの命をこの手で絶った。
今までもそういった命を絶った事がある。
その度に、山への感謝は形骸であったとしても、我ながら神妙に心の底から礼を尽し、黙を祷したのではあるが。
自然と言うものの深さ、偉大さ、そして厳しさは雄大であり壮大である。
人が死ぬと、石の墓を築く。
名前を刻み、血統の礎になるのだろうか。
初めてなのであるが、断った命を形にして残した。
1つは仙台に行った。
そして、今回、仲間が残してくれた。
山を巡り、時を旅し、我が手により命を絶たれた骸は、俺たちの血や肉となり、
そして、その姿は、姿を変え我が家にやって来た。
大きな熊だったが、猟仲間が、その大きさに敬意を抱き、形を残す手だてを踏み、そして我が家へやって来たのだ。
悪趣味と言う方もあろうが、この姿に、わたしは畏敬を抱く。
山の神の化身の様でもある。
少なくともわたしはそう感じた。
わたしの業の象徴ではない。
山の象徴、自然の深さの象徴であろう。
私たちが、自然への畏敬や感謝を忘れずに暮らせるように、彼等はその姿を留めた。
これもまた、礎であろうか。
その美しくも、断った命に、それを育む大地に、改めて頭を垂れ、穀を捧げる。
感謝