▼危うい綱渡りの如し2011/11/03 07:34 (C) 山の仙人になりてーなぁ〜
▼彼等の背負いし物彼等の背中に背負われし物は
ただの荷ではない 彼等の背中に背負われし物は 人でもない 彼等が背負いし物は 人の未来と 其処へ繋がる標なり 標を背負う者が迷えば 未来は不確かとなり 標を背負う者が倒れれば 後に続く者は道を失う 彼等の背負う荷を 背負いし者が己のみのモノと思い込めば 未来そのものが無くなるだろう そんな重き荷を背負い 道無き道を 険しい山々を 行く覚悟が 彼等にあるのだろうか 誰かが必ず背負わねばならない荷なれど 今の彼等に背負う資格があるのだろうか 平らな平原を 舗装された道路を 汗も流さず進みたい彼等に 資格があるのだろうか 今日は良い天気だ 秋の空が綺麗だ 2011/11/04 16:44:麦
▼麦チョコさま航空機のパイロットは、500人の命を背負って飛ぶ訳だ。
日航機の羽田沖の逆噴射墜落事故を受けて、パイロットの精神鑑定など厳しくなった。 鉄砲撃ちも、銃の更新の度に精神科でおかしくないか調べてもらって、診断書が必要な訳だ。 そう言った診断書などの精神鑑定も試験も、倫理も・・・・ 国会議員は要らんのらしい。 県会議員も要らんらしい。 市町村議会議員も要らんらしい。 気楽な稼業ときたもんだぁ なんの責任もないもんだぁ 外国行って、国際公約で消費税増税だってさぁ〜〜〜 国民は知らんよ・・そんなのぉ〜〜〜 気楽な稼業ときたもんだぁ♪ 2011/11/07 16:54:kuma仙人
|
▼100advertising▼ranking
|
(C) Stepup Communications Co.,LTD. All Rights Reserved Powered by samidare. System:enterpriz [network media]
|
原発や、最新の科学技術、特に遺伝子関係のお話には、その研究者とお国と共に歩まねばならぬ道を、それもほぼ目隠しされた状態で歩むかの如き心境である。
後始末の出来ぬもの。原子力が良い例だが。
その運営のそれは、極地や超高地の人類未踏の冒険に似ている。
過去、人類で初の極点行は、北極、南極とも幾多の探検隊の失敗と、そのため失った人命は数多い。
また、エベレストに始まり14座の8000メートル峰、やそれ以外の山々。
日本であっても、北アルプス連峰や谷川岳、その他の山々での遭難は多い。
極地行は、現在であっても、その探検の快適さを保つ機材は多かろうが、過酷さと危険は、一瞬で生と死を分かつ厳しさを持ち、大自然に抱かれる人知の儚さは、人間が人間である以上、過去も未来も変わらない。
高所登山であっても、厳冬期の少数登山、単独登山程危険を極めるものはない。
吹きさらされた痩せ尾根は、ナイフの刃の上を歩く如く、仮に登頂に成功しても喜んでいられる状況ではない。生きて帰らなければならないのである。
低酸素などや高所の気圧、寒さなどにより命を落とし、未だヒマラヤなどの高所に、腐る事なく死したそのままの姿で眠る遺体も多い。
そして、これは冒険なのである。
一般の人間全てに平等に与えられるチャンスではない。
訓練と経験と、能力と財力、人脈があってこその挑戦である。
高所登山は現在でも高い死亡率である。参考資料 ウィキペディア
付記:ウィキペディアのデータは、訓練され熟練した一流のエキスパートの死亡率であり、全国民が対象となる交通事故や病気の死亡率とは比較できない。
が、これらの挑戦には、参加する挑戦者たち自らの責任において、その命のやり取りがある訳で、参加国の国民の命を脅かす事はない。
現在の原発関係の諸事を眺めれば、それはまるで国民をリックに詰め込んだ政治家と済堺の重鎮など利権者が、エベレストの断崖絶壁をやっとこ歩く姿に見える。
登頂は原発設置か?
さて、帰路は、ナイフリッジの上をヨタヨタと這い歩く。
頂きの原発からは黒い煙・・・・修理には戻れんだろう。
アハハ・・・そのうち国民を背負ったザックごと、数千メートルの断崖を滑落死するだろう。
いやいや、良くて稜線上で低酸素低気圧で脳浮腫でもおこし、死に至る。
彼等だけの冒険なら仕方がないだろう。
誰も攻めはしない。
しかし、彼等は国民を背負っている訳である。
最新の技術開発には、そういった「倫理」を議論し極める能力が必要な訳だ。
化学や物理しかできない堅物に、文学の才能がなければ倫理を理解できぬのだろう。
政治家とて、「嘘」が上手いだけでは通らん。
それは、田舎の地方議員から始まる。
日本中の地方議員の責務として、町や村の予算だけじゃなく、背負われるザックの中身から、せめて自分の町村の住民だけでも抜いてもらうべく、強力な活動が求められる。
百姓の片手間に、町会議員などやっている場合じゃ無い訳である。