▼生きるとは2011/10/15 20:49 (C) 山の仙人になりてーなぁ〜
▼追記そして、生も、死も
認識できる今に於いて、全てを許容したい。 そういう生でありたいし、 そういう我が命でありたい。 壮大な許容であるが、それは命の右左のことであり、手前の生きる上での生活の手段とは違う。 私のブログタイトルにある、生きると言う事を、幾度も考え、 考えて歩んで行きたいと、そう思う。 今までの生き方は、間違っていないような気がするが、 素直に凸凹ではあろうが、私の生あるうちの表現として、きっとここに記そうと思うのである。 2011/10/15 21:40:kuma仙人
▼お帰り生きることは 死ぬこと 生きることは 死ぬまで生きぬくこと 如何に生きるかということは 如何に死ぬかということ 死を見据えない生き方は 滑稽で無様 如何に死ぬかの為に 大切に今を生きる それだけ 2011/10/15 23:29:麦チョコ
▼麦様行って参りました。
自然は、なんにもなかったみたいに、あの凶暴な一面さえ当然の一面であるように、太平洋は太平洋のままであった。 オイラが感じる山の自然となんら変わらなくそこにあった。 失ったものは、人間の認識する持ちモノである。 自然は何も失ってはいないのかもしれない。 しかし、放射能は違う。 プルトニウムなどは、自然界に存在しない。 失った想い出以上に、放出させた放射能の罪は、未来に於いて重いのだろうと俺は考えている。 2011/10/17 08:30:kuma仙人
|
▼100advertising▼ranking
|
(C) Stepup Communications Co.,LTD. All Rights Reserved Powered by samidare. System:enterpriz [network media]
|
悲しみを負う事である
生きるとは
それを知り、生きる事である
生きるとは
愛することである
そう思う。