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▼311

9月13日か。

あの地震と津波。そしてそれを甘く見ていた原発政策が起こした放射能災害。
そして、アメリカの同時多発テロ。

半年と10年。

日航ジャンボ機の墜落から26年。

第二次大戦が終わり70年近く。


津波で命を失った人の多くも、行政などの津波到達危険区域を避けたにも関わらず、津波にのまれてしまった方も多いのではないかと考えている。


東電と国などの原発に関わる罪は大きい。

絶対に大丈夫。
津波はここまで到達しない。来るはずがない。
だから原発は安全である。
学者を抱えた見解に自信を見せた。

そのような見解が、近隣地域の津波到達予測を、実際に甘かった東電の予測に併せた可能性もあるのではないか。
そのために失われた命もあろう。

だからこそ、政治が、政治家が、責任は何処にあるのかなぁ、僕は知らんが、あれは「死のまち」。などという発言をすることを許せないのである。


記憶に重い出来事は、その多くが人の手による。
自然災害ならば、断腸の想いであっても、その不幸は受け入れなければなかろうが、人災となれば想いも違う。


最低限の、個人的努力として、誰彼に頼らず、自分の意志で、自分の身を守れる、そういう子供たちを育てたい。

その上に、自分に余力があるならば、他を助け、共に協力し更に多くを助け。

災害に、何が正しいのか。
どういった行動が正しいのか。
行政や国家の避難指示や、対策だけが正しくない事は、過去の事例で実証済みである。


生きぬく力。
生存する能力。

そして、未来を築く命そのもの。

俺たちが守らなければならないのは、環境や未来も含めたそれを守り共に存在する「いのち」なのである。

しなくちゃならない事。
エコや節約、そんな事じゃない。

それを含めた「未来」という存在を守り維持することだろう。

それは「いのち」なのである。

経済ではない。

「いのち」を忘れた生活には、目先の経済しか見えず、経済の破たん=国家の崩壊の如く語られるが、国民が健康で、その子孫の健康と命そのものが健全に維持することが可能な社会であれば、経済など崩壊したところでその国家は崩壊などするはずもない。

経済優先で、危険な物質が身の回りにあふれ、いつ処理できるのか、誰が処理できるのか。そのつけを明日以降に押し付ける政治やシステムであらば、その未来は暗い。

今の日本に、未来を見たとしたらそれは、安全と言った原発の崩壊を見るに等しい。


3・11から半年を過ぎ。

政治古タヌキはどうでもいい、あいつらはどうにもならん。

若者があたらしい日本を築きあげるべきだろう。

311を境に、日本は変わるはずだと、信じたい。
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