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▼被災地ボランティア-石巻市 鮎川-

被災地ボランティア-石巻市 鮎川-/


被災地ボランティア-石巻市 鮎川-



こんにちは編集員です(^^)

今回は、置賜文化フォーラムの所在地でもある

「米沢市」の地名の由来です。

米沢は多くの川や“沢”の水が流れ、

沢山の“米”が収穫出来る土地であることや

一説には、城の近くから米のとぎ汁のような

白い水が湧き出て、その場所を「米井」と呼び、

転じて『米沢』になったと言われているそうです。

米どころならではの地名ですよね!

現在のように牛が有名だったら、「牛沢」とかに

なっていたかもしれませね~(笑)




では、本題です。

編集員は「やまがた若者キャラバン隊2011」という県と山新観光が

主催し、10月にフェリーに乗って名古屋に行き、山形のPRをして

来るという企画に参加しております。

10月の本番を前に、3回の事前研修があり、参加者を5つの班に分け

班ごとに山形のPR方法を考えたり、同じ東北人として、被災地の

現状を伝える為にボランティア活動をしたりします。



その被災地ボランティア研修に8月27日(土)に行って参りました。

場所は、宮城県石巻市鮎川(牡鹿半島の先)です。

ニュース等で、被災地のことは分かっているつもりでした。

しかし、本当に分かっている“つもり”だったことに気づきました。

震災から5カ月経った被災地は、色々な意味で『凄い』の一言に

尽きるものでした。

跡形もなく崩れている建物があったり、

建物の形を残していても大きく傾いていたり、

積み上げらている瓦礫の山があったり、

壁には、ここまで水位があったのだと分かる潮の痕がありました。

でも、一番『凄い』と感じたのは、少しづつでも復興に近づこうと

頑張る地元の方と、それを支援する人々の想いです。

石巻の商店街にある精肉店では、肉の出荷停止で商品が入らず、

それでも、地元の人に何か食料を届けたいと、野菜の販売に踏切り

大変、喜ばれているそうです。

また、石巻市社会福祉協議会ボランティアセンター・牡鹿サテライトで

代表を務める遠藤さんは、関東で経営していた会社を休眠させ、

ボランティア活動を行い、しかも、私財をなげうって活動拠点である

公民館を修繕したりしているそうです。

被災地の方は前向きに今を生き、ボランティアの方は、それを

同情や憐みなどではなく、心から支援したいという想いで活動して

いました。

編集員の拙い文章では、現地の様子が1/10も伝わるか分かりませんので

ここで、少し現地の写真をご覧下さい。



●石巻市内




●石巻市内の建物




●奥に建っているのが石巻市立病院前です。
 病院の前はまるで戦地のようです・・・。




●石巻市の学校




●石巻市内の寺院
 崩れた建物と墓石が無残にも倒れている墓地です。




●道の真ん中に大きな大和煮の缶詰(レリーフ)が倒れていました。




●鮎川




●太平洋
 この海が、町を飲み込む程の津波を生み出したとは思えない位
 穏やかでした。




●牡鹿サテライトの講堂で、3月11日に現地を襲った津波の様子を
 収めた映像を見ました。




●ボランティア活動を行った鮎川の漁港




●捕鯨センター跡地で瓦礫撤去






如何でしたでしょうか?

編集員は、震災後、募金活動をしたり、支援物資を集めたりと

地元で出来る支援をして来ました。

しかし、ただ何となく一方的(自己満足的)な支援だった気がします。

今回少しの時間ですが、被災地に行ったことで、

現地のニーズにあった支援が必要なのだと思いました。

同じ東北人、同じ日本人、同じ人間として、お互い様の気持ちで

支えあって、少しでも早い復興を目指しましょう!!!










2011/08/29 15:00 (C) 置賜文化創作アルバム
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