▼ある原子力専門家の詩2011/05/10 08:38 (C) 山の仙人になりてーなぁ〜
▼お詫び取り返しのつかないことをしました。でも殺人ユッケの材料を飼育している農家も売国奴。。
2011/05/10 12:26:勘坂康弘(チョン)
▼今更ながら・・・この時間。冷静になった俺の脳みそであるが。
ここに、この上の言葉はないであろう。 君に父は居ないのか。 母は居ないのか。 子供はいないのか。 そして、想像できないのだろうか。 なんと不幸な人よ。 君を愛し、包む人は、君の虚勢以外にないというのか。 なんと不幸な人よ。 君は、その知性によって真実を見出し想像できないというのか、君が恩恵を受けフラストレーションを発散しうるこの場においてささやかな真実に近しい情報さえ得られないというのか。 君は、君に与えうる真実を、あえて見ようとしないのか。 空から降りしきる焼夷弾の雨に、肌身を焼かれるまで。 彼方から飛来する、劣化ウランの弾頭の塵を吸い、唇を紫に染め、粘膜から出血し、血の涙を流してさえ。 君は、与えうる想像の全てを否定し、 その元凶を自分以外のすべてにあるというのか。 腸管出血性大腸菌も、ペストも、コレラも、狂犬病も、デング熱もサナダムシも回虫もジストマも淋病も梅毒もインフルエンザも何もかも、君以外の全てに原因があるというのか。 恐らく君の知能では知り得ないだろうが、優しい事だ。君がO111のキャリアであっても、君は気付かないだろう。 しかし、君が原因なのである。その可能性は否定できない。 マラリアであろうがインフルであろうが、結膜炎だろうが何だろうが、そのキャリアを否定できない。 それは、君が生きているからである。 それを僕らは否定しない。 それを否定し、差別し、蔑視するのは君自信である。 美しく、人をいとおしむ言葉に、君は刃を剥く。 君は何だ。 君を知りたい。 ここに来給え。 ここにきて、君が生きているという姿を、僕と共にここに刻もうではないか。 君の意思に関係なく、君の吐いた言葉には、責任が生じているのだよ。 生きた牛にかぶりついても、病気にはならない。 血を流す牛にむしゃぶりついても病気にはならない。 死んだ牛のその後に問題があったのだよ。 君は、無責任に君の言葉を放っている。 大丈夫か?責任は負えるのか? 発信者の特定をして、東電みたいに肥育牛農家に責任を果たせるのか?なせるならば、君の声を聞こう。 きみが、代償を払う約束があるのならば。 ここには、責任が必要だ。 匿名性という世界で君は守られていると思っているだろうが、 匿名に責任はなく、君の言葉はあまりに陳腐な弁である。 そして、その匿名も、数時間のうちに特定され、明日の新聞を賑わす事態になりうるということも事実である。 ささやかな、君の言葉であるが。 僕は、大きく受け止めて、君に付き合うよ。 きみはさぞ幸せを感じるだろう。 これでよかったかい。 君に心より言葉を掛ける。 そう。君は、誰からも捨てられてはいない。 誰かが、きっと、君を見つめている。 君は一人ではない。 そう、俺が付き合うよ。 君は見捨てられてなんかいないさ。 俺たちがいる。 君に落ちる爆弾は・・・・。 俺たちも共に受けるのだから。 君は一人ではない。 2011/05/10 23:32:kuma仙人
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中部大学 武田邦彦氏のブログなんだが。
心を打たれたというか・・・・
子供たちよ、父ちゃんの想い。かあちゃんの想いだ。
そう、言って聞いてもらいたい気分にさせられたので、
ここに、その全文を紹介したい。
なお、武田氏のブログはここ(別ウィンドウで開きます)
以下、氏のブログより。
☆
子らよ・・・
父は剣をとって敵と戦い、武運つたなく斬り殺される. そして君もまた父に殉じる.
爆弾が頭上に落ちるとき、母は君を胸に抱いて爆弾に背を向ける. そして母は焼け焦げ君もまた命を落とす.
何も出来なかったじゃないかと言わないでくれ.
それで良いのだ. 君は父と母の愛のもとで眠る.
・・・・・・・・・
郡山の父、伊達の父は校庭の表土を除いた。君は26ミリシーベルトから8ミリシーベルトになった。
君は父を尊敬するだろう.
母は君を抱いて走った。知らない土地、辛い仕打ち、乏しい財布、その中で必死に逃げ、そして今、郷里に帰った.
母の心は痛んでいる. もう少し逃げたかったが・・・それは出来なかった. だから君の母は自らを責めている.
君は母を愛するだろう.
人は万能ではなく, 人には出来ないことがある. 君もそれは承知だ.
人ができること、それは爆弾が空から降ってこようと、目に見えぬ放射線が体を貫こうと、愛する子のために我が身を犠牲にすることだ.
・・・・・・・・・
私たちには希望がある. それは全力を尽くした後に、子らが私たちを見つめる感謝の心.
私たちは、決してくじけることもなく、決して自らを責めることもない.
私たちは、爆弾に背を向ける母のように全力を尽くすことができ、それで子らは満足する.
(平成23年5月3日 夕暮れの郡山にて)
武田邦彦