▼母の日・・・2011/05/08 16:42 (C) 山の仙人になりてーなぁ〜
▼いいですねぇ美味しいプレゼント♪
感謝と愛情と成長の軌跡が一度に楽しめますな! ピザ♪ピザ♪ ちなみに、麦は 薄い皮タイプが好きです! 差し入れもいつでも受け入れOKです(笑) そうそう…小国はまだまだ雪が残っていて コゴミも雪解けの隙間から やっと頭を上げた程度で コシアブラやタラノメは、まだまだ摘めない感じでした やはり今年は変な年なのでしょうかねぇ? 原子力…は、なんかもう…、あ〜…もぅ…イライラする!と 現状が危ないのは分かり切ってるし 人間には御せない事も分かり切ってるのに まだ動かしてるん?って感じです 政府とか、企業とかには すでに何も期待していないです ヘマをしないで これ以上間違った方向に行かないように 祈るだけですわ 2011/05/09 13:05:麦チョコ
▼麦チョコさま俺も薄皮タイプ。それも硬めの生地が好きですな〜。
姉ちゃんはパンつくりに夢中なので、どうもひと手間かけたいようで、なかなか旨かったですよ。 小国はまだまだ雪がありますか。 雪、多かったですからなぁ。 福島では、タケノコ、コゴミが出荷停止・・・・。 なんとも、悲しいというか。 農家のみんなも、苦しくて悲しいだろうな。 伊達市の農家の娘が良く遊びに来るんだけれど、大丈夫かな。 本当に、いい方向に事が進み、取り返しのつかない間違いの再発を危惧するばかりですな。 また、おかしなコメント来ちゃった・・・参ったなぁ。 2011/05/10 16:13:kuma仙人
▼基本は無視で…なんだでだろ…
最近急にですよね? 利用している媒体がシステムを変えたとかですかね? ま、いろんな人がいますから… 2011/05/10 16:30:麦チョコ
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5月8日は「母の日」らしい。
子供の頃から、こういう事に無頓着な俺には、全く縁のない日であるが。
休みの子供たちには、腕を振るう日だったようだ。
かねてからパンを焼く2番姉ちゃんが、今日はピザに挑戦。
オイラも、パンじゃなくてたまにはピザ食いて〜なぁ、つくり方は似てるから簡単だよ〜。と、教えてはいたのだが、本を引っ張り出し、にらめっこしながらつくったそうだ。
トッピングは、ピーマン、サラミ、玉ねぎ、トウモロコシ、アサリのむき身、おまけにシイタケとシカ肉の生ハム、行者ニンニクまで乗っけたのである。
なかなか豪華である。
見よ、この美味しそうなPizza。
小学校5年生でもこのくらいに出来る。
生地はフカフカ系の生地で、知らないで食べれば、その辺に売っているピザ・・・以上だな。
なかなか上手である。
まかり間違って、熊庵などが出来てしまった折には、調理師、板前の心配はない。
娘のピザも、売り物に十分な出来栄えである。
親ばか・・・・である。
今年7か所目の田んぼ用水の堀上が終わった。
これで、一応全ての堀上が終わった。
結構な仕事量であるが、里の維持管理と言う事である。
これをしないで、水路が荒れてしまうと水田にくる水の確保が出来ないのである。
都会でお勤めの方で例えて言えば、行政で行う道路、ドブ清掃を、自分たちで行うのと同じことであろう。
まあ、直接的な収益につながる仕事ではないが、
そんな大切な仕事が農村には多いのである。
帰り道。
河川には丁度いいコゴミがたくさん出ていた。
思わず、近所のおじちゃんが採りはじめた。
ささやかな、しあわせ。
まるで原子力などと縁のない生活に見えるのだが。
そんな俺たちにも、その子供たちにも、未来にも、
危険で制御しきれない人間の業が災いとしてもたらされる。
放射能を制御できる人間はいない。
現在の日本では、あちらこちらの原発で危機的状況が起きていて、偶然に近い形でその危機をそらしているだけである。
そして、みんなが知らないところで、大した話題にも上がらないまま、相当な危険がふりまかれている。
高速増殖炉では、通常の十数倍以上の濃度のウランが使われている。
いま、かの原子炉は危機液状況が10年近く続き、現在もその危機を脱する手立てがないのである。脱せないのである。
そして、こう着状態のまま、恐ろしいほどのお金を喰っているのである。
「もんじゅ」ナトリウム漏れの事故である。
masterさまご紹介のホームページなどでもその内容を詳しく知ることが出来ます。
原発の認識・・・・お金で命売っちゃってる!?
福井県敦賀 高速増殖炉「もんじゅ」の分かりやすい説明
興味がないと、ニュースは流れ忘れ去ってしまう。
しかし、未来に続く危機に関して、人間は回避できるのなら回避すべき知能を持った生き物なのである。
脳の活動、思考回路を停止し、自己暗示により命や未来の危機感覚を麻痺させてまで、危険なものを受け入れようとする事など、とうてい私には信じがたい事である。
この震災は、私たちにチャンスを与えてくれたのである。
私たちの生活、生き方そのものを考え直すチャンスをである。
数万の命と、数え切れないほどの建物、想い出。涙。と引き換えに、地球・自然が与えてくれた、失った「いのち」や今生きている俺たちの「いのち」を考えるきっかけなのではないかと思っている。
だから、俺は表現することにした。
言葉に表すことにしたのだ。
原発はいらん。と。
未来に続く「いのち」と「自然」と「しあわせ」せのために。
いろんな意見があろうが、これが私の意見である。