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▼従三位 上杉曦山公之碑

従三位 上杉曦山公之碑/
曦山公とは上杉家十三代斉憲の号、文政3年(1820年)5月15日生、天宝10年4月家督、戊辰戦の責により明治元年12月隠居、明治22年5月20日東京にて逝去享年70歳
その間ペリー来航、尊王攘夷、奥羽越列藩同盟、明治維新、版籍奉還と波乱万丈の時代を逞しく生きられ、明治以降の諸功績により従三位に任ぜられる
明治24年公を慕う旧藩士によりこの碑が建立された

題字は陸軍大将有栖川宮熾仁親王の書
石碑裏の文は伯爵勝安房(海舟)の撰による

と碑のそばの説明文にあります。

火曜日までポポロで書道展が行われ、宮島詠士特別展も併催されていましたが、多分この石碑は詠士の父、宮島誠一郎が深く関わっていることと思います。
幕末の米沢藩ではひとり雲井龍雄に人気が集中しがちですが、勝海舟とのコネから米沢海軍と呼ばれる道筋を作ったこと、興亜会設立により亜細亜思想の根底を創ったことなど、非常に重要な人物です。
従三位を獲得(?)したのも彼の功績と思われます。

なお上杉家は4代藩主上杉綱憲より現在に至るまで、吉良義央の子孫ということになります。

2010/11/17 23:50 (C) 珈琲豆屋です!

▼宮島誠一郎と建碑

友田昌宏『戊辰雪冤―米沢藩士・宮島誠一郎の「明治」』(講談社現代新書)をお読みになりましたか?
2010/11/26 09:17

▼書き込みありがとうございます。

まだ、未読です。
2010/11/26 10:28:mameichi

▼戊辰雪冤

従三位昇叙と建碑について言及があります。
2010/11/27 13:48

▼なるほど!!

なるほど!!/
情報をいただいた方、ありがとうございました。
早速図書館から借りて、とりあえずその件のところだけ抜き読みしました。
黒子に徹した宮島誠一郎の姿が浮かびますね。

中島忠雄編の米沢大年表にこうあります。
明治24年9月25日
故上杉曦山(斉憲)の碑を松岬公園東北堤上に建てた。(此の石は雪中南原村大平より有志の御手伝にて運搬したもの)

そして最近手に入れたのがその時に多分配り物として出したであろう、石版刷りの一枚です。
2010/12/02 18:05:mameichi
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