▼従三位 上杉曦山公之碑2010/11/17 23:50 (C) 珈琲豆屋です!
▼宮島誠一郎と建碑友田昌宏『戊辰雪冤―米沢藩士・宮島誠一郎の「明治」』(講談社現代新書)をお読みになりましたか?
2010/11/26 09:17
▼書き込みありがとうございます。まだ、未読です。
2010/11/26 10:28:mameichi
▼戊辰雪冤従三位昇叙と建碑について言及があります。
2010/11/27 13:48
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曦山公とは上杉家十三代斉憲の号、文政3年(1820年)5月15日生、天宝10年4月家督、戊辰戦の責により明治元年12月隠居、明治22年5月20日東京にて逝去享年70歳
その間ペリー来航、尊王攘夷、奥羽越列藩同盟、明治維新、版籍奉還と波乱万丈の時代を逞しく生きられ、明治以降の諸功績により従三位に任ぜられる
明治24年公を慕う旧藩士によりこの碑が建立された
題字は陸軍大将有栖川宮熾仁親王の書
石碑裏の文は伯爵勝安房(海舟)の撰による
と碑のそばの説明文にあります。
火曜日までポポロで書道展が行われ、宮島詠士特別展も併催されていましたが、多分この石碑は詠士の父、宮島誠一郎が深く関わっていることと思います。
幕末の米沢藩ではひとり雲井龍雄に人気が集中しがちですが、勝海舟とのコネから米沢海軍と呼ばれる道筋を作ったこと、興亜会設立により亜細亜思想の根底を創ったことなど、非常に重要な人物です。
従三位を獲得(?)したのも彼の功績と思われます。
なお上杉家は4代藩主上杉綱憲より現在に至るまで、吉良義央の子孫ということになります。