▼10日・・・2010/11/02 19:21 (C) 山の仙人になりてーなぁ〜
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いや、身体はあったのかもしれないが、それ以前に友との別れは感じていた。
ずっと前から・・・・・。
ここが故郷であったなら、というあまえ、欲求がある。
ガキの頃からの旧知の存在が救いになるのではないかと、弱気になる。
果たして心を割って、底の唸りを語れる場所がここにあるのだろうか?
そんな場所だった友の死であった。
愛する人、無二の人を失った人々の苦しみが語られていて、
僕はただ耳を傾けるのみ。
代わりにはなれないし、共有することもできない。
ただ、聞いて、聞くことのみによって苦しみが癒されるならば、という優しさに徹したい衝動である。
自分が、そんな立場になって、どこに語ろうか・・・・、
話そうか・・・・、
涙を流そうか・・・・・。
よくお邪魔するブログがある。ブッチャーTalk
前に進み、また過去を踏みしめ前に進み・・・
三歩進んで二歩下がる
苦しみ歩む
友という身内とも違う喪失に、まだ涙する俺だけれど、
身内、愛する人を失う現実に、
生きているという現実を、いや、共感なのだろうか?それとも時間を共有するそのことのみなのであろうか、
僕たちはすべてを知り、共有できるという想像力を持った人間でありたい。