▼松川の色は、、、2010/06/05 01:42 (C) 珈琲豆屋です!
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その昔、石という石が全て黄色かったことを思い出します。
今は天元台と名を変えた場所は、かつて硫黄鉱山がありました。
私が生まれた頃廃鉱になったと聞いています。
思えば、軍事色を強め世界から孤立していく中で、鉱物の輸入が思うようにいかなかったのか、とにかく山の中を随分ほっくり返しています。
山の駅は一つ一つがそのターミナルで、関根駅は西吾妻鉱山(前述の硫黄鉱山)、峠駅は滑川鉱山、板谷駅はジークライト鉱山と、各駅に鉱山から索道が張り巡らされていました。
戦争が終わったからといってそう簡単に産業構造は変わらず、戦後も多くの鉱山が操業を続けていました。
で、松川は子供の頃は魚の住めない川になっていました。
いつの頃からでしょうか、水鳥の姿が見え出したのは。魚がいるのでしょう。
県でも随分浄化に取り組んでいるらしく、黄色かった石はいつの間にかもとの姿に戻っていきました。
今では、鴨、鷺をはじめ水辺の鳥が随分川面に姿を見せるようになりました。
私が子供の頃、そんな川でも泳いだことがあるんです。
大人が昔泳いだというはなしを聞いて、どんなもんかということでジャブンと入ったのではなかったでしょうか。
みんながみんな泳いでいる状況ではなかったと思います。むしろ物好きというか、まあ市営プールに泳ぎに来て、ちょっとあっちに行ってみようかという感じだったと思います。
一中の脇の住ノ江橋のすぐ下に、割りに大きな淵があり、結構深く色は深い緑色で、水も冷たかったように記憶しています。
その場所もいつの間にかなくなっていますが。多分1、2回水に浸かったのでしょうか。中学生だったのでしょうか。
水の味は酸っかかった、とてもとても飲めませんでした。
きれいになったとはいえ今も無理ですね、飲むのは。