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▼瞽女(ごぜ)の墓

瞽女(ごぜ)の墓/
 大暮山萬福寺の境内には「あきごぜ」の墓が建てられています。 
 萬福寺の中興第二世和田宥啓住職の資料によると、天保12年(1841)は天候不順で水稲不作、蚕腐れの年でした。
 越後からやってきた瞽女(三味線をひいて歌いながら門付けする盲目の女性)たちは、四、五人で組をつくり、目が見えないので、前の人の腰からのばした手ぬぐいを後ろの者が握り、大きな荷物を背負いながら、暗くなった大暮山の山道を歩いていました。ところが連日の大雨で土砂崩れにあい、最後尾を歩いていた「あきごぜ」だけが生き埋めになってしまったのです。村人たちは、あまりにもかわいそうに思い、みんなで和尚に頼み葬式をあげたと伝えられています。
※『大谷郷』より抜粋
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