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▼八ッ沼城(五百川城)跡

八ッ沼城(五百川城)跡/
 文明元年(1469)越前敦賀より原越後守が一族郎党を引き連れ築城しました。永禄8年(1565)四代原甲斐守の息子・兼道と鳥屋ヶ森城主岸氏の娘・弥生姫の婚約成立をもって、山形城主最上義光との五百川合戦につながり両城ともに落城します。(天正9年・12年落城説あり)慶長5年(1600)の出羽合戦では上杉勢により攻略されます。矢引き場、人見穴、堀切、曲輪、旗柱跡などが残っています。
小松寿一さんのお話
八ツ沼城の落城

歴史見学会 「朝日町の天地人」(PC)
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