▼生きる 生きてこそ2010/03/23 19:05 (C) 山の仙人になりてーなぁ〜
▼20年ほど前になりましょうか…
私には小国に住う叔母がおりまして 山菜を採り、それを生業としておりました とかく春は、稼ぎ時 春先のコブシの芽は漢方の薬師に珍重され 蕨、ゼンマイ、蕗、コゴミ、カタクリ、ミズナ… と、秋に劣らぬ宝の山 しかし、春の山はご存じの通り、子連れの母熊が活歩する季節でもありまして… 山を知り尽した叔母でしたが、不運にも、2ヶ月の入院を余儀なくされる出会いをしてしまったんですわ。 いつもの山に、いつものお伴の愛犬を従え、鉈と鎌を携え山道を行く叔母と 2頭の小熊を連れた母熊が、雑木茂る沢にて遭遇 驚いた母熊と遇い見えた後、叔母は鉈で応戦し、命からがら山を下り生きて帰って来れました。 不思議なものです。 叔母は、当時 『やられた怪我は仕方ねぇ、アレ(熊)だってわざとじゃねえんだ。ただ、オラも生活かけて山に登るべ、だから山は生かして返してくれたんだ』 と言っておりました。 不思議なものです。 2010/03/23 20:28:麦チョコ
▼すごいっ最初に横レスで失礼します。
麦チョコさんの叔母さんの言葉、深いです。 胆の据わった、かつ、謙虚な山の民。 世知辛い現代ではなかなかお目にかかれません。 仙人志望の方へ 死ぬということが恐くなくなったのは、30過ぎたころからだったかもしれない。自分で自分の決めた人生を歩んでいて、「その時」が来てしまったら仕方ないんじゃなかろうかと。 悔いもなければやり残したとも思わない。 よき友に出会い、伴侶と過ごし、家族に囲まれ、好きな仕事をし、ほかに何を望むことがあろう。 たぶん、わたしに小さな子どもがあれば、とてもそんなふうには思えないだろうけれど、今のところ生きられるだけ生きて死ぬ。健康ではいたいけれど、延命までは望まない。できればお医者さまに「もういいです」って言えたらよいなぁって思うんだ。 なんつってて、20年後くらいに「死ぬのやだぁ〜」って泣いてても笑わないでね。 2010/03/24 15:40:kinako
▼麦チョコさま・・。。熊との出会い熊との出会いも
それも、自然な出来事ですもんな。 人間から見れば 怪我したり大変だけど 叔母様は 自然な出会いであって、必然であると悟っておられるのですな。 2010/03/24 16:38:くまっち
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また、死を受け入れるという事でもある
と、思う。
まあ、普通の生活の中で、生は喜び
死は、忌嫌うものとなっているようだが。
生から死まで その間に量りきれないほどの事柄がつまってはいるのだが。
それを、俺たちは 生きているからこそ考え 悩むのではあるまいか。
簡素である。
「なぜ生まれ、生きているのか?」
などと、多感な青年時代に深刻に悩み、死を見つめた事もある。
が、悟った!? のである
生まれたから 仕方あるまい 死ぬまで生きるだけである。
その内容は個々に万別で、何かに類する必要もないし、類してもよいのである。
生を受けた場所や国家にある、習慣や法に従う事は、また必然であろうし、その習慣や、法を都度変化させるべく生きることも可能ではある。そこでどう生きようと、本人次第であるのだと。
が、生まれたから 死ぬまで生きるだけである。と思った瞬間から
神も宗教も国家も超越してしまった気がした。
そして、強くなった。
生きるということを、重く感じ、自分の行動に責任をもち、他をいたわれる様になった。
逝く友に、今生の共に生きた時を感謝し、寂しさに涙こそすれ、悲しみはない。
生まれる我が子に、生きるという大役を負わす原因となった事に恐れ慄き、3日4日身をくらませた事もあった。
死にに山に登る奴はいない。
遭難。 しかし、いつ死が訪れようとそれは必然であり、責められる事ではない。 帰還した遭難者に群がるマスコミが、「何が原因だ?無理はなかったのか?責任を誰が?」とやっているが、そんな事はどうでもいいのである。
登り、死ぬ目に遭い、仲間を失った人間が一番分かっているのであるから。
生きるとは、何かの命を喰らう事である。
いつも、私たちは命を喰っているのである。
何がよくて、何がいけないのか・・・そんな事はどっちでもいい。
真実を見て生きていれば 見えるのであるから。
そして、その真実を見抜く心を、共に生きる事の出来る時間を授かったよい仲間と共に養うのだ。
山で、熊を追う。
間違えれば、わが命 失う事もあろう。
銃という文明の利器をもってはいるが。
ズルはしない。
堂々と、奴と向かい合うのだ。
遠くに 真っ黒な 奴らを望んだとき。
友達になりたい とも 思う。
可愛い仕草に、撃つこともないだろう とも思う。
が、
大切な命を 教えてくれる。
神を、なくした私に 神を見せてくれる気がしてならない。