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▼上杉景虎(うえすぎかげとら)

天文23年(1554)〜天正7年(1579)
 小田原城主・北条氏康の七男。幼名・三郎氏秀。宿敵同士だった北条と上杉の同盟が結ばれたことで、上杉謙信の養子として春日山城へ迎えられる。謙信が名乗っていた景虎の名を与えられたほか、景勝の妹・華姫との結婚など一族として厚遇される。
 天正6年(1578)謙信の死後、兄・北条氏政の援軍を受け、景勝と家督を争う(「御館の乱」)が、翌7年(1579)篭城した御館は景勝軍の猛攻を受け落城。小田原へ逃亡するが、途中立ち寄った鮫ヶ尾城で城主・堀江宗親の謀叛に遇い、3月24日自害。享年26。
 景虎の子・道満丸は、3月17日、四ツ屋砦で前関東管領・上杉憲政と自害。わずか9歳であった。
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