▼◆歴史は楽し◆直江兼続と長井2009/07/14 12:17 (C) まるはち酒店
▼その3先ず向かったのは伊佐沢 小関家、もう一つの関ヶ原と呼ばれている長谷堂合戦(慶長5年9月、1600年)別称、最上戦争の際には直江軍の命により当主、小関小太郎が家臣10人と地足軽二百名を率いて槍頭として馬上にて出陣した。 中世の館の面影を残す館掘と土塁を廻らした環壕武家屋敷が長井の地に残っていようとは。 小関家は伊達時代から続く士豪。 2009/07/14 12:28
▼その3弊店から僅か200m程の距離に位置する長井郷一ノ宮。 直江兼続ゆかりの社で自らお手植えされたと云われる直江杉九樹、奉納された刀、最上戦争の折に畑谷から持ち帰ったと云われる仏像群がある。 慣れ親しんだご近所も研修として足を運ぶと新たな感慨に浸る事を実感。 2009/07/14 12:31
▼その22009/07/14 12:33
▼その2慶長年間、兼続は置賜と庄内を結ぶ山岳道、朝日軍道の開設に着手。 最上、村上といった隣国の敵領を通らずに飛び地領である庄内に達する道を切り開いたのである。 軍道の開設を記した竜峰奥羽道記には「黒くわ五百人、つるはし鎌の者千人を立て、長井より山を切り谷を埋め、滞りなく大鳥池の北に打ち出す。」と記されている。 その軍道の起点がこの草岡新町であった。 山岳道の入口には郷土の歌人、結城哀草果の歌が。 2009/07/14 12:35
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7月8日、先月に続き長井文化財保護協会の視察研修会に参加。
今回の研修は地元長井に残る兼続ゆかりの史跡めぐりである。
個人的に興味が募っていた「草岡・朝日軍道」の起点に初めて立ち、古に想いを馳せた一時。
長井人として感慨深いものがあった。
長年住み慣れた長井の郷にも魅力的な歴史スポットがこんなにも点在していようとは!
いかに日常に追われパターン化したライフサイクルに終始しているかである。(-_-;)
そういう意味でも今回の研修は意義深く少しは眼下が開けたように思う。
そして夕刻前には研修を終えるというコンパクトながらも中身の濃い研修スケジュールには感心するばかりである。
郷土についての考察の魅力を手招きして頂いた講師の安部会長さん始め事務局スタッフの面々に感謝申し上げたい。
※画像は朝日軍道を歩く参加者の方々
【当日の研修コース】
つつじ公園駐車場 → 伊佐沢 小関家 → 總宮神社・遍照寺 → 草岡 朝日軍道 → 縄文そばの館 → 勧進台新地 → 正寿院 → つつじ公園着
続きは画像と共にどうぞ〜^^