▼志ん生が語る商売。2009/06/24 01:46 (C) 珈琲豆屋です!
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息子の古今亭志ん朝が亡くなって、志ん生という大名跡を継ぐことの出来る人がいなくなった今、逆にまた大きく光彩を放って迫ってくる芸があります。
私が子供の頃、志ん生はまだ健在だったのですがもう実際の活動はやっていなかったため、はじめてちゃんとした落語を聴いたのは中学生の時だったと思います。
NHK第一放送で演芸広場(だったかな?)という月〜金の帯番組があり、多分一番最初に志ん生を取り上げたと記憶しています。
「商売となってみると、いろいろありまして、まず今はってぇとデバートとなっておりまして、一軒の呉服屋でいろんなものを売る。昔は商売が別々になっておりまして道具屋は道具屋、下駄屋は下駄屋、、、」
十八番の火焔太鼓、多分昭和30年ごろの録音でしょう。その後その時放送したものと同じ音源のレコードを手に入れました。
そのころはデバートだったんですね。米沢はまだそういうものがなかった。
山形から大沼が出店する前にこの形態に近い商売をやったのは山森佐太郎氏の糸屋でしょう。元々運動具店をやられていたと聞いています。その前は主に武器を扱っていたと読んだ憶えもあります。現在の商工会議所のところにあった洋品店なのですが、2階だか3階にレストランがあったりしてそれなりに楽しい場所でした。
そのあと元細工町、今の焼肉いろりあたりに十字屋が開店しました。記憶があいまいなのですが、いまの板坂お茶屋のところでやっていてその後移ったようにも思います。エスカレーターが付いたのはこの店からではないでしょうか。ここは食堂はなかったが、小さなおもちゃ売り場がありました。ミニカーはばば店とは違ったもの(トミカでないということでしょう。=ヨネザワか?)を置いていました。
その後米沢は昭和45年の大沼開店を皮切りに、ジャスコ、ファミリーデパートの平和通り黄金時代に突入します。