▼東京漫才の系譜、その12009/06/15 04:12 (C) 珈琲豆屋です!
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今の人たち、特に吉本の方々はよく分からないのですが、昭和40〜50年ごろの記憶です。
どの漫才が一番売れたか、といわれれば春日三球・照代ということになると思います。地下鉄はどっから入れたか、というネタだけで天下を取ってしまった御両人、たけしのインタビュー番組に出て昔話をしていました。
春日三球はもとはクリトモ一休・三休という男性コンビ、たしか電車事故で相方を失い夫婦漫才になりました。
美人の奥様は照代・順子という姉妹漫才で少女時代からならし、もともとはギターを抱えていたと聞いたことがあります。
春日といえば今ではオードリーということになりますが。
その次に来るのはてんや・わんやかWけんじでしょうが、私の趣味からいえば Wけんじです。今の昭和のいる・こいるもくだらないが、勢いのあったときのWけんもくだらなくて面白かった。宮城けんじはもとは春日八郎の司会者、それ以前は子役で映画に出ていたという根っからの芸人、東けんじは栃木の東野鉄道(とうやと読む。鉄道はなくなったがバス会社としてそのままの名前で健在)からサーカスのピエロ、大阪でおとぼけガイズ(三波伸介・玉川良一)を経てコンビ結成、「おい、しかしけんちゃんよ」「何でしょう、宮城けんじさん」これだけで面白かった。
てんや・わんやは今でも漫才の定番である「ハゲ」「チビ」で徹底的にこき下ろす漫才でNHKはこの人たち好きだったという印象があります。よくたけしと鶴太郎でまねをしていましたが、「卵の親じゃ、ひよこちゃんじゃ、ピィ、ピィ、ピィよこちゃんじゃあひるじゃガァー、ガァー(だったかな?)」というネタをやっていた全盛期のころは知りません。NHKのビッグショウみたいな番組で再現したのは見ましたが。子供心にこの人たちは仲悪いんだろうな、と思わせるコンビでした。
その次は桂子・好江かコロムビアトップ・ライトでしょうがこの中で唯一の生き残りが内海桂子師匠。説教じみた漫才であんまり好きじゃなかったが今の若い人たち=好江をずーっと叱る漫才。後半好江師匠が力を付けてきてからはうまくいなしていましたが、それまではバランスの悪い漫才という印象でした。漫才コンテストに優勝できずお前のせいだと罵られ、自殺未遂をしたという話が痛々しく、長生きできなかった好江師匠を贔屓してしまいます。ただ色っぽさでは桂子師匠なのね、ここは。
青空一門を率いていたコロムビアトップ師匠もどうみても仲が悪いコンビで、そういうのは見事に弟子にも移るもので、球児好児以外は全てコンビ別れということになります。後半はトップ師匠は政治家、ライト師匠は漫談でやってましたが花王名人劇場などの大きい営業が入るとやるんだ漫才を。またこれが典型的に仲が悪いのが分かる漫才。それでも、それが分かっていても十分に面白い漫才でした。応援団のネタが好きでした。
東京の漫才の場合、青空とか大空とか晴乃とか高峰とか、誰が考えたのか空を眺めて大志を抱く立派な明るいイメージの名前が多いようです。芸の内容とは余り関係ないんだよなぁ。北島三郎、市川昭介先生なども漫才からのスタートだったと聞きます。大阪の漫才は昔は見る機会が少なかったので漫才といえば東京でした。