▼鳥取りの系譜。2009/04/20 22:52 (C) 珈琲豆屋です!
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私の先祖は鳥取りをして生計を立てていた時期があるらしいです。
明治32年の免許町火事の時に、東部小学校の前身である華渓学校が焼失しました。その学校は常信庵の隣にあり、須藤兵八郎という剣術指南でその後消防の隊長になった方の道場だったと思います。
そこが焼けたので今の米坂線のカーブのところになったわけですが、ここのグランドの土地の一部は、実はうちの土地だったのです。簡単にいうと原野で、ここでかすみ網を張って取り鳥をしていたらしいのです。
元々は武士というか足軽のなかの足軽というか、参勤交代のとき先頭でしたにぃー、したーにぃーという係りだったとも聞いたことがあります。実家には江戸侍の武鑑などもあったので、江戸詰めのときもあったのでしょう。
江戸にいる時、足軽なんぞは何をしていたのでしょうか。門番とか警備員のようなことをやったりしていたのでしょうか。
我が家は、その当時ハリセンボン同様結核の巻きだったらしく、あまりちゃんとした仕事が出来ない人もいたようで取り鳥でしのいでいた時期もあったようです。場所柄新築といった福田遊廓の料理屋などに納めていたのでしょうか。
そういえば、かみさんの生まれが堂森なのです。そして、最近有名になってしまった前田さんが月見をしていた堂森山で、こちらのご先祖もなんと取り鳥をしていた時期があるらしいのです。東京庵あたりに納めていたのではということなので、もしかしたら先祖同士が料理屋の裏木戸で鉢合わせしていたかもしれません。
こんなわけで、鳥取り繋がりというのは結構珍しいのではないでしょうか。
写真は堤防の桜ですが、この向こうにも先祖が無駄に残した微妙な杉林があるのです。その話はまた後ほど。