▼4月9日(木) 思い出しました。2009/04/09 13:37 (C) 向井の”つれづれなるままに”
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「たどりついたら原価公開だった」という雑文を書いているうちに、
あの頃のなつかしい気分にひたることが出来ました。
ちょっと押し付けですがこっちのほうにも貼り付けてみます。
3.自宅新築
いよいよ自分なりに自宅を建てるということをスタートしました。
誰でも家を建てる場合はそうでしょうけどまず住宅雑誌を買ってきて見たりしてイメージをつかむことから始めました。
気に入った写真やプランをスクラップブックに貼り、何度も何度も見たものです。
リビングはこんな感じで、キッチンはこんな感じでとさんざんイメージだけがふくらみますがなかなかまとめられません。
素人の方が自分だけで完璧なプランを作り上げるというのはなかなか難しいことなのです。
なんでも盛り込んでしまい優先順位をつけてプランニングするというのが出来ないからなのです。
そのへんプロのアドバイスがあれば自分の考えをまとめられるのですが、
私なりにさんざん考えたあげくまとまったのがアメリカンタイプのシンプルな切り妻の屋根の家でした。
屋根はヨーロッパ調の瓦で、壁は横張りのサイディングです。
当時はトタンの屋根に、左官屋さんがモルタルを塗るというのが一般的なパターンでしたから、ちょっと違うイメージの家になりました。
プランのポイントとしてはリビングを二階にもっていき大きなピクチャーウインドーをつけて蔵王がリビングから真正面に見えるようにして、
その前にデッキを張り出しました。
それなりに今でも気に入っています。
あとアメリカの住宅にあこがれていたのでアメリカの住宅雑誌などを取り寄せたりして、
そういうイメージをだそうとアメリカの住宅部材を取り寄せようと思いました。
今では誰でも簡単にアメリカ製のドアやサッシ、床材などなどいくらでも買うことが出来ますが、
インターネットなども無い時代ですからどこからどう買い付けるかということも分かりません。
でもまぁ仕事柄、建材の仕入れのルートがあったので情報収集して玄関ドアや室内ドアなどを購入することが出来ました。
ただしすべて英語で説明書が書いてあるので、
建具屋さんから何を書いてあるのかさっぱり分からんので翻訳してくれなどと言われたりしてなんとか苦労して取り付けることができました。
まだまだ他にも資材を購入したかったのですが水周り関係の部材は日本の規格に合わないから使えないとか当時はいろんな障害がありました。
それ以外にもノルウェー製の暖炉をリビングにつけました。
現場に行ったりしたときにいくらでもマキになる木材は得られるという環境で仕事をしているので面白いだろうということでつけたのです。
金額的にはかなりかかりましたが、これは当たりでしたね。
今でもマキストーブは元気に活躍しています。
最初のうちはマキを燃やすのが面白くてがんがん燃やして真っ赤になって暖まってました。
それ以外にもいろいろと工夫をしましたが失敗もあります。
例えば、キッチンです。
なぜか私はプロ用というものは道具として優れているのだろうという思い込みがあり、
ならばキッチンもプロ用のものが良いだろうとレストランで使う業務用のオーブン付きのガス台を設置しました。
オーブンの周囲に耐熱のためにレンガを詰め込んであるという機種ですから相当重いので二階に設置するのも大変だったのですが、
オーブンを使ったのはただの一回だけでした。
なんせそのオーブンは使用するには1時間以上も前からガスを燃焼させて温めなければ使えなかったのです。
業務用ですから、ほとんどつけっぱなしで使用しているのでなんら問題ないのですが、
素人が自宅で使うには、使いこなせないようなしろものだったのです。
このような素人がおかしやすい失敗も、
まあ自分でやったので納得はしていますが、
自分だけで考えないで経験者のアドバイスをもう少し取り入れるべきだったなと今では思いますけどね。
今だったら数々の経験や、設計事務所の友人関係などで、
その時の自分に的確なアドバイスが出来るのですがちょっと残念です。
屋根材にアスベストが使われているのも数年前に分かり今ではガルバリューム鋼鈑の屋根に変えましたが、
当時は問題になっていたのはアスベストの鉄骨への吹き付けのことだけでしたから材料にアスベストが含まれるというのは、
そんなに問題にはならなかったのですが・・・・耐久性には問題がありましたね。
10年ぐらいでボロボロになってしまいましたから。
屋根裏部屋も収納の為に3階部分に作りましたが、
階段で上がるのではなく折りたたみの階段を天井から引き出して使うということにしたため、
荷物を持って上がることが非常に困難でなんのことはない無用の長物となりました。
これも素人ゆえの失敗でしょう。
家を建てるときにいろんなこだわりがありましたがデザイン以外には「暖かい家」を建てたいというのがありました。
ただ、当時は高気密高断熱という概念がありませんでしたから、
どうやったら暖かい家が出来るのかということを業界の人でさえ、
ほとんどの理解できなかったのではないでしょうか。
もちろん私も理解していなかったので断熱材をたくさん入れれば暖かい家になると単純に考えて断熱材を入れましたが、
今から考えるとなんでこうしたのかという部分がたくさんあるのです。
サッシも樹脂のサッシは当時もありましたが、
見積もりを取ったら通常のサッシに対して3倍の価格でしたからとても使えなかったのです。
それが今では当然のように当たり前に使っていますから時代が変わりましたね。
床下の防湿処理なども自分の感覚では床下に防湿シートをしいたらどうかと大工さんに言ったところ、
そんなことをすると逆にそのシートの下面に水がたまってくるからとおどされましたが、一応全面に防湿シートをしきました。
といってもその当時はそうする人などいなかったので防湿シートなるものもなく、
現場用の青いブルーシートというものを敷いただけですけどね。
そうやって、自分なりにこだわった住宅が完成したのです。
それなりに満足した住宅になりました。
そして、建築費を確認したら、びっくりしました。
何故か?
あまりにも安かったからなのです。
最初は電卓の計算を間違えたのかと思ったくらいでした。
考えてみれば、材木をはじめ建材など大工さん価格で会社から納品しましたし(もちろん材木屋としての利益は取ってですが)、
基礎屋さんをはじめ各職種さんからの見積もりは工務店に出す見積価格だったので、
安くなるのは当然といえば当然だったのです。
そして、自分で融資の申し込みから確認申請、設計、現場管理の果てまでやったので、
通常の建築会社に払う経費の部分がさっぱり無かったからのですから安くなるのに、
当然これも影響しているわけです。
ただし住宅金融公庫をはじめやったことのないので、
住宅ローンを組むのに何度も説明書を読み返し、
訂正で書き直し真っ黒になってようやく申請したようなありさまでしたが経費はほとんどかからなかったのです。
もちろんその経験は自信になりましたが。
そうやって無事完成させて、自分で家を建てるということにそれなりに自信がつきました。
経験も無くむこうみずにいきなり自宅を建ててしまったのですが、
ひっとしたら自分の家ばかりでもなく、
この方式でやればお客さんが喜んで家を注文してくれるのではないかと、
材木屋の立場として考えるようになったのです。
今から思いなおしてみるとそれが「原価公開」の原型だったのです。
その時の気分にひたったなつかしい思い出でした。