▼左沢線より月山を望む。2008/12/18 22:19 (C) 珈琲豆屋です!
▼鉄の道・・・最近よく思うのですが、もう車用の道路は要らない!と思うのです。以前は某団体の代表として「高速道路は経済の動脈です!」
なんてしたり顔で話していました。 でも、人々の昨今の「乱れ」はすべてにおいて「速さ・効率」を追求した結果がこの有様なのではないか、と言うことなのです。 電車でノンビリ旅。そういうお客様が確実に増えています。新幹線でなくて「どんこう」の旅。それこそが本来の旅行の姿だと感じています。 もっとゆっくりもっとじっくり、な世界にしていきたいです。 人間はそうスピードアップが出来ない存在なんだと思います。 2008/12/20 08:17:yukio
▼一回作ればそれを維持する責任が出てきます。
山形県の旧国鉄の路線は昭和12年の仙山線全通以来、すべての路線が多少形を変えても(ex 長井線=山形鉄道 奥羽本線=山形新幹線など)一日も休まずに稼働しています。私鉄は全廃されましたが、すべての旧国鉄が残っている県は珍しいと思います。 米坂線は故田中角栄氏があそこは残すっ、という『朱鷺の一声』があったと聞いてことがありますが、、、 とにかく、作ったら活用することを考えましょうよ。もったいないんだから、空気運んでもしょうがないんだから。ディーゼルエンジンでも満員になれば一人当たりのCO2排出量は車よりは少ないはずでしょう。 鉄道というのは、子供のころ習ったと思いますが本当は貨物を運ぶための道です。現在県内では羽越線以外は貨物を引っ張ることをやめてしまいました。国鉄がよくストライキをしていた時、その物流という大動脈を盾に仕掛けていたのが、大きなストライキの時、代替のトラック輸送で乗り切ってしまったため、高速交通網整備に拍車がかかったらしいです。 毎月のように東京に行っていた会社時代17年間を考えると、子供のころ憧れていた東京がだんだん魅力を失っていった時期と重なります。 やまばと、つばさで4時間、津軽で8時間ぐらいの距離がよかったし、よく4時間立ちっぱなしでしたねぇー。 子供のころの三越の包み紙の赤と白が何と光彩を放っていたことか。 とりあえず私は、がんばっておいしいコーヒーを提供するところから始めていきますので、よろしくお願いします。 2008/12/20 10:26:mameichi
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火曜日、寒河江に行った折左沢線山辺駅を少し出たところから月山が見えたので写真を撮りました。果樹園を走る列車もいいですね。
左沢線は大正11年左沢軽便線として開通、なぜ左沢までなのか、というのは疑問の残るところです。荒砥から宮宿を経て結ぶ計画もあったのですが、この鉄道に関しても何をしたかったのかは非常に判りにくい感じがします。確か寒河江から河北町の谷地、神町を結ぶ計画線もありました。今の道路族同様、鉄道族がいたのです。
長井線の荒砥という終点も不思議な場所です。そして糠野目から高畠に鉄道があったころの終点、二井宿というのも納得が行く場所ではありません。
考えられるとすれば、やはり製糸産業でしょうか。
のんびりとした模型のような鉄道が現実にあって、今も動いていることに感動を覚えます。
高校生の通学用か高齢者の通院用として残ってる路線は全国に多いと思います。ある意味余裕を感じます。
昨年、川西町である講演の依頼を受け、終了後飲み会もあるとのことで、米坂線で羽前小松に向かいました。
たまに乗ってみてください。贅沢な旅が待っていますよ。