▼安久津八幡神社の歴史2008/06/22 17:32 (C) 安久津八幡神社
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金蔵院として信仰を集める。
永承六年(1051)源義家が安倍一族討伐の命を受け二井宿峠を越えて当山に入り
戦勝を祈願し大勝利を得た(前九年の役)
寛治元年(1087)再度金蔵院に立ち寄り戦勝を祈願し大勝利を得た(後三年の役)
そこで鎌倉の由比郷より八幡神を分霊してお祀りしたのが安久津八幡神社の起こりと言い伝えられている。
源氏の氏神八幡神に甲冑や刀を奉納、別当神宮寺・学頭金蔵院・衆徒頭千殊院始
十二坊を置き、神官社家三十余人を配し、神仏両部の祭典儀式が定められていた。
以後、長井・伊達・蒲生・上杉と歴代領主により保護され、社殿の造営や社領等の
寄進が行なわれてきた。
鎌倉時代から室町時代にかけて院や坊の最盛期修行僧の能海・堪忍等の写経筆跡が
神奈川県「金沢文庫」に残っている。
伊達氏の尊崇特に篤く広大な社領を寄進される。
「独眼竜政宗」は重臣「片倉小十郎」をもって総裁に任じ神務までも司り、隆盛を極めた。
伊達氏に変わり蒲生氏が領主になると社領は没収され、社頭は衰運するが
祭祀は継続された。
文禄三年(1594)より上杉家の領地となり寛文四年(1664)に天領となる。
寛文十三年(1670)に社領五十石を賜り明治三年(1870)まで続く
元和元年(1615)拝殿火災 元和三年(1617)拝殿再建
元和五年(1619)本殿焼失 寛永七年(1630)本殿再建
元文二年(1737)寛保三年(1743)火災により旧記・宝物等焼失
宝暦五年(1755)大飢饉の中現在の社殿が再建される
明治四五年(1912)今の社務所にあった金蔵院が火災で焼失
火災で貴重な建物や宝物文化遺産を失ってしまった。残念です