▼『米坂線の今』萩生駅の2 時間が止まった待合室2025/09/20 06:10 (C) おらだの会3
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萩生駅近くには遊具のある広場がある。その広場と駅舎に隣接してトイレと休憩室が整備されている。それはまるで駅舎の離れのように見える佇まいである。駅舎正面には地元酒造会社が庭園を寄贈したことが記された「庭園寄贈」の石碑が建っている。駅前の風情は沿線各駅の中でも随一のものではないだろうか。
待合室に入ると昭和62年(1987年)8月の日付のある川柳の献額が飾られている。昭和62年は国鉄からJR東日本となった年であり、長井線が第3セクターとして存続する事が決定された年でもある。その中に次の句があった。「人形の首が落ちたる廃止駅」。句の作者は今の状況を見たら、どんな句を詠むのだろうか。
その隣には「萩生駅愛護会主催によるJR利用者拡大イベント」の添え書きのある集合写真があった。地元史誌(中ノ目歴史散歩:平成27年刊行)によれば、1966年(昭和41年)の駅待合室の増築を機に萩生、中、黒沢の3区と有志によって「萩生駅後援会」が組織され、その後「萩生駅愛護会」に改称されたという。掲示されている写真は2010年(平成22年)の事業参加者の様子である。同誌には「今後、利用拡大に向けた行動はもちろんのこと、廃止などの話が出ないように沿線住民が何をなすべきか、JRにもっと目を向けていこうではないか。」と記されていた。
待合室を抜けてホームに出たいと思ったが、ホームへの扉には合板が打ち付けられていた。他の駅ではホームに出ることができたのだが、萩生駅ではそれも許されなくなっていた。待合室の中は2010年で時間が止まってしまい、人々の思いもその中に閉じ込められてしまったように思えた。