▼高橋恵子 いつでも「初めて」をあじわえる2010/01/12 11:35 (C) ゆうちゃん
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いつでも「初めて」を味わえる
別々の性に生まれたのだから、
それを堪能したい 高橋 惠子
同世代の方々が再婚したり、恋愛したりしている姿を見ると、いい時代になったなと思います。
出会ってしまったのなら突き進むのも悪くない50代はこわいものナシ
50代も半ばになりましたが、以前にもましてのびのびおおらかといいますか、どんどん自由になっていく気がします。
北海道の原野で育った私が、年齢とともに”自然児”に還っていく感じ(笑)。30代、40代のころは母として、ずいぶん時間や気持ちを傾けたきたけれど、だんだん役割の比重が軽くなり、ようやく一人の女性として自分がやりたいことに好きなだけ向き合えるようになった。50代ってまさにそういう年齢なのでしょう。
私はいったい何のためにこの世に生まれてきたんだろう?なあんていう、まるで思春期のころに考えるようなことを今一度考えてみたりしましてね。そうすると答えはひとつ。
好奇心の赴くままに、意のままに生きる、ということ。そのうえ、年齢を重ねるにつれて、失敗を恐れたり、ひるんだりする気持ちがほとんどなくなってしまったものだから、もうこわいものナシみたいになってしまって。(笑)私が舞台を始めたのは40代になってから。社交ダンスに挑戦したのは、50代になってからですし、一昨年は初めて舞台で歌ったんですよ。できないことができるようになっていくプロセスは、本当に楽しい。
これから先、どんな「初めて」が私を待っているのか、と思うとワクワクします。
もう50代だから行動を自重する、という感覚はわたしにはまったくありません。
”冒険家”などと周囲から呼ばれているのも、こんな性格だからこそなのかもしれません。
日本人って、若さに固執しすぎだと思いませんか?私は16歳のときに、はじめて仕事でヨーロッパに行き、大人の魅力を尊ぶ文化に触れました。みんないい感じで年齢を重ねていて、あっちにもこっちにも素敵な大人がいっぱい。年齢が醸し出す威厳や落ち着き、豊かさ、たおやかさ。ああ、私もあんな大人になりたいと思っていましたね。実は、一度「老けたな」と「トシ」を自覚したことがあったんです。確か39歳のときでたが、その瞬間はかなりショックを受けたけれども、16歳の強烈な大人文化体験が蘇り、悪あがきすることなく、現実を受け入れることができました。
お話をしていて思い出すのは、40代の時に、共演した歌舞伎俳優の方が、「女性は50代が一番いいんだよ」と言ってくださったこと。いろいろな経験を積んできているうえに、まだまだ体力もある、気力も充実している、50代こそ最高だよ―この方の言葉どおりだったな、と54歳のいま思います。年齢を重ねることで磨かれていくもの、満たされていくものって、やっぱりある。だから、私は若い頃に戻りたいとはまったく思いません。
もちろん失われていくものもあるけれど、そんなものを数えるよりも、新たに手に入れたものを大切にしたい。たとえば、つまらないことに神経を煩わされなくなったぶん、集中力が増したこと、自分のことだけでなく周囲に目配りする余裕ができできたこと…。
女優としてだけでなく、人として生きていくうえで、必要な力がやっとついてきた感じがします。
夫婦が長続きする秘訣は
夫婦の関係も、ずいぶん変わりました。結婚当初は、まだ20代の血気盛んな頃で、ケンカばかり。私は、よよと泣き崩れるような女性をたくさん演じてきましたが、実は立ち向かっていくタイプなので、なかなか激しいバトルもありました。そんな私たちも結婚して27年。その間に、息子と娘を授かり、さらには二人の孫にも恵まれ、気がついたら、ケンカにならない形で、自分の意見を言い合う大人の知恵を身につけていました。夫(映画監督の高橋伴明さん)との会話は、かなり多いほうだと思います。二人とも白黒つけたがるタイプなので、なあなあで丸く収めてしまうと気持ちが悪い。だから、結論がでるまで話す。ケンカではなく、意見を感情的にならずに伝え合います。意見が平行線で、絶対に一つの結論を導き出すことができないときは、じゃあ、あなたはこうしてね、私はこうするわ、というふうに落ち着くことが多いですね。自分の意見は譲れないけれど、相手が別の意見であることは認め合う、という感じでしょうか。なんていうと、たいへんな議論をしているかのようですが、そんなことはまったくなくて、お話しするのが少々恥ずかしいような些細なことでなぜか意見が分かれるんですよ。先日は、「携帯電話での連絡方法」が争点になりました。うまい解決法を見つけられるようになったのも、年の功。いかげさまでさじ加減というか、塩梅がわかってきました。長続きの秘訣があるとしたら、詮索しないということでしょうか。何年ともに過ごしたところで、相手を知り尽くすことできない、と最初から思っているところが私にはあります。あります。あります。すべ知りたがるのは独占欲で、それこそしがらみのもと。相手には相手の人生があり、私には私の人生がある。それぞれの人生という二つの輪は一部分だけ共有していて、その共有部分について濃密であれば十分という気がするんです。そもそも人って固定的なものではなく、成長したり、衰えたり、変化したりするものなのだから、知り尽くそうなんて傲慢です。わからない部分が残っているからこそ、相手にドキドキもできるし、幻滅させられることもある。
それこそが、人生の味わい深さではないかと思います。
更年期のトンネルを抜けて
振り返ってみると、やはり更年期はひとつの区切りだったように思います。48歳のとき、理由もないのに体が重く、食欲もない、首も痛む…という日々が続くようになりました。驚いたのは、なにをするにもプラス思考の私が、「だめかもれない」と、マイナスの発想をするようになったこと。つらくなると病院に行き、ホルモン補充の注射を打ってもらい、漢方薬も飲みました。そんな日々が2年くらい続きましたが、気がついたらトンネルを抜けていて、再びプラス思考全開の私に戻っていました(笑)。娘によると、私は、更年期を境に[NOと言える人]になったとか。人生の残り時間を意識するようになったので、つまらないことに時間を割いていたらもったいない、と思うようになったせいかもしれません。とはいえ、あと何十年もあるのだからまだまだ相当なことができる。私と同世代の方が、再婚したり、恋愛したりしている姿を見ると、いい時代になったなあと思います。
出会ってしまったのなら突き進むのも悪くない。恋に落ちるなんてありえないとか、すべきでない、とは思わない方がいいように思います。夫婦の間でも安心しきって中性になってしまうのは、なんだか悲しいですよね。せっかく別々の性に生まれたのだからそれを堪能しないと。異性を意識するということは、いくつになってもとっても大切。わからないところ、自分とは違うところがあるからこそ、男と女は惹かれ合うんだと思うんです。だから、私は、相手に常に興味を持ち、相手の優しさや強さ、自分の持っていないものに感動できる人であり続けたいです。そのためには自分もまた相手に、興味を持ってもらえる人でいなくては。年齢を重ねるにつれて、人には多くを求めてしまう。私ってまだまだだな、と思う。そんな気持ちが私を前へ前はと向かわせるのかもしれませんね。
年齢を重ねることで磨かれていくもの、満たされていくものって、やっぱりある
プロフィール
高橋 惠子
たかはし けいこ 女優。
1955年、北海道生まれ。70年、映画「高校生ブルース」でデビュー。82年、映画監督の高橋伴明と結婚し、関根惠子から高橋惠子に改名。2009年、舞台『ガブリエル・シャネル』『細雪』などに、出演。テレビ、映画などで活躍中