▼最上家の石高2012/04/30 00:00 (C) 出羽・最上の戦国関連情報(@endnob)
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元和8年(1622年)の最上家改易後に、その所領がどのように分割されたのかを調べてみました。
山形(鳥居忠政) 22.0万石
寒河江(天領) 2.0万石
谷地(天領) 1.5万石
上山(松平重忠) 4.0万石
新庄(戸沢政盛) 6.0万石
庄内(酒井忠勝) 13.8万石
左沢(酒井直次) 1.2万石
白岩(酒井忠重) 0.4万石
由利(本多正純) 5.5万石
上記を合計すると、56.4万石となり、ほぼ「57万石」になりますね。
ちなみに、由利郡5.5万石は本多正純が固辞したため、その後、下記のとおり分割されています。
本荘(六郷政乗) 2.2万石
亀田(岩城吉隆) 2.0万石
仁賀保(仁賀保挙誠) 1.0万石
矢島(打越光隆) 0.3万石
気になるのは、最上57万石のうち関ヶ原後に加増された分は、庄内13.8万石+由利5.5万石の合計19.3万石という点です。
つまり、関ヶ原前に治めていた最上郡と村山郡で、37.1万石あったということになり、さらに雄勝郡が加わりますので、実際は40万石弱はあったということになります。
一般的に、関ヶ原前の時点での最上家は、24万石あるいは13万石といわれていますので、ずいぶんと乖離がありますね。
もし、直江兼続が最上領を13〜24万石とみて軍事行動を起こしたのであれば、少し計算違いが生じても不思議ではないのかもしれません。