ヤマガタンver9 > 越後瞽女唄鑑賞会

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▼越後瞽女唄鑑賞会

越後瞽女唄鑑賞会/

 川西町大字朴沢(ほうのさわ)の古民家「土礼味庵」 で越後瞽女唄鑑賞会があり拝聴しました。 昭和一桁生まれの私の母、米沢市万世で生まれ育った、その小学生時代、まだラジオも普及してない頃のこと、今日は瞽女が来るよーと家々に連絡が入ったそうです、野良仕事で忙しい母(私のばあちゃん)に走って伝えると、『今日は、はやぐきりあげんなねなー、はやぐまんま支度してけろー』と言われ連れて行ってもらえることに喜んで夕飯支度したそうです、私の母、小学3年で父が急死し母子家庭となる、ぼろは着せられないと私のばあちゃんは寝る間を惜しんで仕事したんだそうです、そんな後ろ姿を見て、私の母は小学生の高学年にもなると4つ下の双子の兄弟の面倒から夕飯の支度もしたんだそうです、母はまだ子供で難しい唄はわからなかったらしいが、行ったことのない各地の巡業話や漫談ものも芸として披露していたそうで、毎年その芸を待ちわびていたそうです。彼女たちが寄留するために必要な家は地元の名士が提供してました。これを「瞽女宿」と呼び、瞽女たちは宿に到着すると、荷物を置いて近在の家々を門付けして回り、夜になると宿に集まってきた村人たちを相手に段物や口説を心ゆくまで披露しました。祝儀には現金のほか、米や果物などの農産物、土地によっては真綿や和紙をもらうこともあったようです、お金がなくても代わりができたんですね、土礼味庵」も「瞽女宿」だったところ、ラジオや映画など他の娯楽が普及するのと逆比例で急速にその役目も色褪せて姿を消してしまった、昔は近親同士で結婚していたため、障害を持つ子も大く医療も発達してないし、福祉もなかったこともあり瞽女は生きる糧としても大切なことだったのでしょうね、感慨深いです。今年始めて拝聴したが力強く、ちょっと哀しいかな、土礼味庵瞽女唄も芸の道や民の文化を伝承するといった強い思いで,行っていることに感銘しました。


2016/06/26 04:49 (C) Atelier Li-no
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